はいかい漫遊漫歩 松谷富彦
(214)冬銀河子は目をあけて何を聴く 神沢利子
『いたずらラッコのロッコ』『くまの子ウーフ』『銀のほのおの国』などの作品で知られる児童文学作家の神沢利子さんが、99歳の誕生日の2023年1月29日に“俳句による自伝 ”とも言える白寿句集『冬銀河』(絵本屋こども富貴堂刊)を出版した。
収載句は約250句。句集作りに当ったのは、長女の山田ルイさんと次女リエさん姉妹。神沢利子さんが俳句を詠み始めたきっかけから句集上梓まで85年に渡る句歴については、詠句の時代ごとに書かれたルイさんの解説を引く。
春浅き 1938~1941年(14~17歳)
〈 一番古いノートに書き留められた句は、1938年とメモがある。これは利子14歳。前年の夏に樺太(サハリン)から上京し、自由学園に転入したものの、体調を崩して休学し、「少女の友」などの雑誌に詩や作文などを投稿していた時期である。以前から俳句を作っていた6歳違いの長兄に見せたら、普段は威張って権威的だった兄が初めて褒めてくれたので、嬉しくて続けて作るようになった。〉
前年秋に樺太の病院で次兄死す
春浅き兄に似しひとすれ違う
千葉竜角寺を文化学院遠足で訪ねて
わが呼吸速まりて来し菊絢爛
花うつぎ 1944~1954年(20~30歳)
〈 1944年、文化学院の同級生だった古河俊造と結婚し、西宮の古河家で、病弱な義母と義姉との暮らしに入る。夫は式の2週間後に出征し、空襲で焼け出された上の義姉と息子たちも加わった婚家で、若い嫁は自らにペンを持つことを禁じたという。それ故、10代から書き綴ってきた詩や物語は、この10年間には見られず、走り書きできる十七文字の俳句だけが残された。
1945年、敗戦の日は、実母の看病に戻った疎開先茅野で迎えている。既に父は亡く、長兄は療養中だったので、売り食いの生活で命をつなぐ日々だった。〉
結婚式の二週間後に夫出征する
風花や征地の便り来ず二十日
これよこの一椀の雪ぞ母が薬餌
枯野光藍濃き火鉢は売られけり
火鉢背負うて男去り行く枯野かな
長女誕生す
児の睫毛そろい苗田をわたる風
(続く)
(215)地に落ちるまでのいのちや春の雪 利子
寒星 1955~1957年(31~33歳)
〈 保土ヶ谷の長屋の四畳半ひと間に引っ越したのは、長女が小学校に入学する年だった。相変わらず、夫は就職しては失業するを繰り返し、貧しさは底をついていた。その上、10代からの胸の病が再発、…寝たり起きたりの心細い暮らしとなる。…この頃、義姉が子どもたちにと送ってくれた幼児雑誌に「お母さんの童話」の募集を見つけて、原稿用紙2枚程の短い童話を投稿すると、入選して賞金をもらうことができた。外で働くことができなくても、これなら布団の上でも書ける。わずかでも自分の力で稼げると、すがる思いで利子は明日の糧のために、童話や童謡の投稿を始めている。〉と長女のルイさんは書く。
元日の床に去年の爪を切り
児を洗う泡の真白や梅雨の昼
枯野 1958~1960年(34~36歳)
〈 雑誌に投稿を続けるうち、常連の仲間たちと手紙のやりとりが始まる。買えない本を貸してくれたり、他の投稿先を紹介してくれたりの交流もできて、同人誌のグループ「童話の会」へ準同人として参加する。しかし、利子の結核は悪化し、夫もまた両肺を冒されて働けず、1958年、国立横浜療養所に入院、左肺の手術を受ける。この手術の後、利子は刻々と恢復していく自分の肉体の生命力に驚く。〉
万緑の病舎幾日子に会わず
鶏頭の枯れ極まりて孤児めく吾子
冬銀河 1961~1984年(35~58歳)
〈 1958年のいくつかの作品を残して、健康を取り戻した利子は以後俳句を作っていない。ノートにふたたび俳句が書き留められるのは、25年も後となる1985年だ。この俳句空白時代は、まさに利子が児童文学作家として本格的な歩みを始め、詩、絵本、童話、長編等にその創作エネルギーを注ぎ込み、たくさんの作品を生み出していった時代にぴったり当てはまる。…
1961年の処女出版『ちびっこカムのぼうけん』から2004年『鹿よおれの兄弟よ』に至る多くの作品に共通して展開するのは、子どもの頃をすごした樺太=サハリンの大自然と全身で味わった日々の体験、出会った北方少数民族の人々への想いなど、自身の幼年時代の原風景である。〉とルイさんは記す。
塩鮭やわが故郷は今異郷
北方少数民族は、熊は毛皮を脱ぐとヒトと同じという。
熊びとのスキーの跡とぞ冬銀河
雪やこんこん 2013~2022年(89~98歳)
〈 90代を迎えて、…ペンを持つより、編み棒を持ち、靴下やマフラーなどを編んでいる時間の方が増えてきた。…若い頃からの句を句集に纏めたいという望みを時々娘たちに匂わせながら、何冊ものノートや原稿用紙に、古い句帖を書き写している利子の姿はその一句一句に、過ぎ去った時間を生き直し、思いがけないほど長くなった生涯を肯っているように思える。〉とルイさん。
わが齢黄泉路とつづく星月夜(句集掉尾の句)
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