「俳句文法」入門 (40) 
─── 推定の助動詞「なり」について ───           大林明彦

 「なり」は断定が殆どですが、推定(・・・ようだ。らしい。にちがいない)の意味で使われる例があります。
 耳で聞いた事柄に基づく推定つまり聴覚的推定の場合です。終止形に接続する。(ラ変型には連体形)
白露や芙蓉したたる音すなり夏目漱石
 白い露が芙蓉に滴っている音がするようだ、と聴覚的推定をしています。次の句も同じです。
きらきらと鶏頭のこゑとどくなり森 澄雄
 七田谷まりうすさんは俳句文法入門で、
雲の峰また鶸の鳴き渡るなり飯田龍太
 について、「右は耳に入る鳴き声から推量し、鳴きながら渡ってゆくらしい、と鶸の行動を判断する」と仰しゃっている。やはり聴覚的推定ですね。又、「終止形につく<なり>は近世においては伝聞・推定ではなく、詠嘆の働きをするものと理解されるのが一般的であったが、現代では研究の成果により、伝聞・推定説が定説となっている。特に近世作品の<なり>を理解する際には、この経緯を踏まえて注意を払う必要がある。」と仰しゃる。では次の句の「なり」はどうでしょうか。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺正岡子規