日本酒のこと  (18)                     安 原 敬 裕
 「全国新酒鑑評会」         

『春耕』6月号の届く5月下旬には「全国新酒鑑評会」の金賞受賞酒の発表が新聞やテレビを賑わせていると思います。この全国新酒鑑評会は明治40年に第一回が開催され、幾つかの変遷を経て今日に至っている最も歴史と権威のある日本酒のコンテストです。
 日本酒の所管は国税庁であり、明治時代後期には酒税が税収全体の三分の一を占めていました。しかし当時は醸造したものの何と46%が腐造であり売り物になりません。如何にして酒の腐造を抑え酒税の増収を図るかが喫緊の課題となっていました。
 そこで国税庁は明治37年に東京滝ノ川に醸造試験所(現在の酒類総合研究所)を設立し酒蔵の技術指導を行う鑑定官を置きました。鑑定官は腐造の原因である火落菌等を防ぐ科学的な醸造方法を指導し、その指導成果を酒蔵間で競わせることを目的に開催したのが全国新酒鑑評会でした。このように鑑評会は腐造を防ぐ醸造技術の改善が主目的であり、消費者を意識した酒質の向上という視点は副次的な位置付けでした。しかし日本酒の腐造が過去のものとなった現在では、低迷する日本酒需要の挽回を目的に消費者目線を意識したコンテストへと姿を変えてきています。
 この全国新酒鑑評会での金賞受賞は大変に名誉なことであり、地酒ブームがおきた昭和50年代以降は「金賞受賞を宣伝伝材料にして商売繁盛を実現する」が中小の酒蔵のビジネスモデルとなり、特に高度な醸造技術を必要とする大吟醸酒に関心が集中しました。一時は「YK35」(Y=山田錦の酒米、K=熊本の協会9号酵母、35=精米歩合35%)で醸した酒が金賞への最短距離と云われた時期がありました。そして全国の酒蔵がYK35タイプ、或いは香りの高い酒造りを志向したことから急速に全国の日本酒の画一化が進みました。そもそも日本酒は地域の食文化に根差したものであり、その意味で全国新酒鑑評会はお酒の個性やローカル色を奪ったともいえます。
 その全国新酒鑑評会は各審査員が専用の利き猪口にお酒を注ぎ、最初に清澄や濁り等の「色」を見ます。次は鼻を近づけて上立ち香や含み香等の「香り」の審査であり、老香やカビ臭は論外です。最後は甘辛等の五味、濃淡、なめらか等の「味」を評価したうえで新酒鑑評会審査カードを提出します。昨年の令和3年は約八百点の出品があり、413点が入賞し内207点が金賞を受賞しました。
 金賞受賞蔵が最も多いのは福島県であり、その南会津町の「国権酒造」を訊ねた時のことです。12年連続の金賞を褒めたところ「嬉しさより今年も受賞できたとの安堵感の方が大きい。鑑評会は心臓に悪い。」との返事でした。金賞受賞酒は数量限定で市販されていますが、それとは別に「金賞受賞蔵の酒」と表示した酒もあります。呉々もご注意を。
鮎宿に持ち込まれたる地酒かな盤水