俳句時事(176)

作句の現場「鷹柱」  

                        棚山波朗

 渥美半島の伊良湖岬と言えば、先ず思い出されるのが芭蕉の鷹の句である。
       鷹一つ見付けてうれし伊良古崎 芭蕉
 この句は、藩領を追放されてこの地に隠れ住んでいた杜国を芭蕉が越人を伴って尋ねた時に詠んだものとされている。杜国は名古屋で米商人をしていが、空米売買にからんで罪を負ったという。芭蕉は杜国と再会出来た喜びをそのままの言葉で表現している。
 鳥羽から伊良湖へは高速艇で三〇分ほどで、秋潮の上を滑るように進んだ。途中で多くの渡り鳥を見かけた。五、六羽から数え切れないほどの群れが、それぞれ西の方へと飛んで行った。
 下船してすぐ近くの観光案内所で鷹を見られる場所を聞くと、「鷹はどこからでも見られるが、恋路ヶ浜が良い」と教えてくれた。
 さっそく行って空を見上げたが、鷹の姿は見当たらなかった。雲一つない晴天で眩しいほどである。時々鵯が鳴きながら飛んでいた。
 諦めて帰ろうとした時、ふと目に止まったのがある建物の屋上だった。屋上から大きなカメラの望遠レンズが伸びていたのである。
 屋上では十人ほどの人がいて空を見上げていた。カメラマンや専門の観察員などである。毎日ここへ来ていると言う人に聞くと、「今年はすでにピークを過ぎたが、まだ渡って来る」と言う。
 しばらくすると最前列にいた人が「来ました来ました」と大声で教えてくれた。指さす方を見ると鳥らしきものが二、三羽こちらへ向かって飛んで来る。かなりの上空である。
 それが鷹だと分かるまでそれほど時間がかからなかった。時折羽根を上下に羽ばたきながら、流れるように近づいてきた。
 伊良湖岬の先端まで来ると、大きな円を描き出した。上昇気流を利用して上空へと昇って行くのである。蚊が群れて柱のように見えるのを「蚊柱」と呼ぶが、あれを大きくしたものと見れば分かりやすい。
 二時間ほどの間に三十羽ほどの鷹が次々と渡って行った。ほとんどが二、三羽連れで、多い時は十羽ほどのこともあった。どこからともなく集まって来てぐるぐる廻り始め、上空に達するのである。
 肉眼で見ることが出来ないほどになると、両翼を広げて西方に向かって流れるように去って行った。
 観察員の話では伊良湖には鷹のほかにもいろいろの渡り鳥が集まって来ると言う。この年最も多いのは懸巣だそうで、低空を群れを作りながら飛んで行くのが目撃されるという。
 かわら鶸も多く、数十羽が海岸の方から松林へと飛んで行った。暗黄緑の羽根が海の日に映えて美しい。
 芭蕉の鷹の碑は国道沿いにある。大きな岩に被さるように藪椿が枝を伸ばしていた。岬の方を見るとすでに日は傾き、鷹の姿は見当たらなかった。