古典に学ぶ㉟
『伊勢物語』のおもしろさを読む( 23 )
東国章段の後日段 第百十六段 ─
実川恵子
前回、取りあげた百十五段は、単独で読むと、陸奥の国に暮らしていた妻が、上京する
ことになった夫との別れを惜しみ歌を詠んだ話とも解されるが、次の第百十六段とあわせて読むと、明らかに東下りの末に陸奥にやってきて住みついていた昔男が、帰京することになって現地妻から餞別の歌を贈られた話ということになる。
続く第百十六段も、次のような短い段である。
むかし、男、すずろに陸 みち 奥の国までまどひいにけり。京に思ふ人にいひやる。
浪間より見ゆる小島のはまびさし久しくなりぬ君にあひ見で
昔男があてもなく陸奥の国までさまよって行った。そこから、都にいる恋しい人の許に
次のような歌を詠み贈った。
うち寄せる波の間から見える小島の浜に建つ海人の家の廂、そのひさしではありませんが、あなたと会えないでずいぶん久しくなってしまいましたよ。
「京に思ふ人」という表現は、東下りの中心章段の第九段に、隅田川のほとりで都に思 いを馳せた場面に「京に思ふ人なきにしもあらず」とあるのと一致する。昔男にとって「京に思ふ人」というのは、かけおちに失敗して仲を引き裂かれた后がねの姫君のことと考えられる。ここで歌を贈った相手も、二条の后をイメージしたこの姫君のことに違いない。
上の句は、男の住む陸奥の海辺の風景を詠んだものだろうが、同時に「久し」を導く
序詞 (じょことば) にもなっている。ここで言いたいことは、下の句の内容である。この歌は、『万葉集』巻十一・二七五三に載る「波の間 まゆ見ゆる小 島 (こしま)の浜(はま)
久木(ひさき) 久しくなりぬ君に逢はずして」の歌の「久木」を「ひさし」に変えて利用したものと思われる。会えなくなって久しくなったとの感慨をこめて歌っているが、この歌に添えて、男は、「何ごとも、みなよくなりにけり」と言い送ったとある。何事もみなよくなったとはどういうことか。「新編日本古典文学全集」(小学館)の「伊勢物語」(福井貞助校注)の頭注には、「旅に出てみると、気持ちが一転して、一心にあなたを恋しく思うようになった、の意であろう」とある。
また、角川ソフィア文庫『新版伊勢物語』(石田譲二訳注)の脚注では、「生活が安定したという程の意味であろう」とあるが、はたしてそういうことであろうか。自分の気分や生活が安定したからと言って、そんなことを都に残してきた恋人に言い送って何になるのか。
男が「すずろに陸奥の国までまどひい」くことになったのは、男一人が傷ついた結果ではない。京に残された女だって心に深い傷を負ったに違いない。男は都を捨てて遠い旅に出て、気持ちが一転したかも知れないし、旅先での生活が安定したかも知れない。でも、都に残ったままの女には気分の一新も生活の変化による安定もないのかも知れない。女のことを思いやれば、わざわざ自分だけが気持ちや生活が安定したなどと言い送るはずはないと思う。これは、男が都にいるにいられなくなって東国に旅立たねばならなかった事情がすっかり好転したことを言っているのだろうと思う。
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