衣の歳時記(75)   ─夏シャツ・開襟シャツ ─

我部敬子

梅雨入りとなる六月。暦の上では二十四節気の芒種から夏至へと進む。芒種とは芒のぎのある穀物を播く時期という意で、農村では田植の風景が広がる。モンスーン地帯特有の高温多湿の季節が始まる。

通る電車白シャツぎつしり充ちて過ぐ山口誓子
蒸し暑い時候に不可欠な「夏シャツ」。素材は肌に涼しい木綿、麻、ポリエステルの混紡などで白や淡い色が多い。 台襟のない「開襟シャツ」は半袖で更に涼しい。古い歳時記に「夏シャツ」を下着として「開襟シャツ」を別見出しで採用しているものが見えるが、最近では上衣として着るシャツ型のものを広く「夏シャツ」とし、「アロハシャツ」も副季語に加えている。
男子の夏の装いはシャツで決まるといってもよく、近年布地やデザインのファッション性が高まっている。

夏シャツをカサブランカのやうに着て行方克己
シャツといえばまずワイシャツを思い浮かべるが、これはホワイト・シャツのホとトを略した日本独自の呼び名であり、大正時代に定着した。以来背広と共に、男子の外出着、特にサラリーマンの仕事着の中核をなす。日本では色物も柄物もワイシャツと呼んでいる。
シャツの起源は定かでない。一説では中世の男子の上衣が短くなり、袖口が狭くなった頃ではといわれている。上着の襟と袖の汚れを防ぐためだけでなく、襞やフリルを付けた装飾的な役割も兼ねていた。
時代が進むと次第に簡素化し、十九世紀には現在のようなスタイルが出来上がった。その後、襟(カラー)の形やカフスが細やかに変えられ、台襟の上に折襟をボタンで付けるセパレートカラーの時代を経て、それを繋げた今の襟型が本流となった。我が国では明治六年に、横浜の大和屋で仕立てられたのが最初である。

白シャツを汚さじと着て農夫老ゆ細見綾子
ワイシャツは重宝だが、湿気の多い日本の夏に適さない。そこでネクタイをしない襟の開いた開襟シャツが考案された。風土に合った仕立てやすい服はたちまち広がる。昭和生れで田舎育ちの筆者には、まわりにいた大人の男子が、白い開襟シャツを着て扇子を持ち歩いていたような記憶が甦る。

開襟の小脇に匂ふ妻の靴野口根水草
更に昭和三十六年に発売されたホンコンシャツも夏シャツの一つに加えてよいだろう。
細身のワイシャツの袖を半袖にし、ネクタイをしない時はオープンカラーでも着られるお洒落なシャツとして都会で大流行した。この頃から縞やチェックなどの柄物が登場するようになる。

夏シャツの襟糊きかせ復職す 木下悦女
そしてクールビズの時代。無闇に冷房を効かせる環境ではなくなった。沖縄ではいち早く沖縄らしいシャツを開発し、「かりゆしウェア」と名付けて正装にまで押し上げている。
官公庁の掛け声も聞えるが、後は個人の意識次第である。デザインも着心地もよい多様な夏シャツが生まれることを期待している。