古典に学ぶ㊲ 『伊勢物語』のおもしろさを読む(25)
─ 第十六段に登場する紀有常という人 ─               

                         実川恵子   蓮

そこで、有常は次のような手紙を書き、事情を話すのである。

思ひわびて、ねむごろにあひ語らひける友だちのもとに、
「かうかう、今はとてまかるを、なにごともいささかなることもえせ、つかはすこと」と書きて、奥に、

手を折りてあひ見しことをかぞふれば十をといひつつ四つは経にけり

有常は「ねむごろにあひ語らひける友だち」に、これこれの次第で、妻は出て行くのだけれど、情けないことに、ほんの少しばかりのことをなんにもしてやれなくて、送り出すことになってしまいました、と不如意を訴え、暗に援助を求めたのである。手紙の奥に添えられた歌は、指を折って妻と結婚して共に暮らした年数を数えて見ると、10年と言っては4回の時が経ったことです、という意味で40年の長い歳月、夫婦として暮らしてきたと言う。それなのに、別れにあたって何もしてやれないとは……と悔やんでいる。
かの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜の物までおくりてよめる。

年だにも十とて四つは経にけるをいくたび君をたのみ来ぬらむ

友だちの男は、この有常からの手紙を見て、「いとあはれ」と思って、夜具の類まで贈ってやったのである。有常の手紙を読んで同情し、気の毒に思った上に、「手を折りて…」の歌に感動したあまりのことなのか、友だちは気前よく、有常の妻への餞別の品々を用だててやった。有常の歌に対する返歌は、年数を数えただけでも、10年と言っては4回、40年も経たということなのに、その長い間、奥方は何度もあなたを頼りにしてきたことでしょう、という意味で、これまであなたはずっと頼りにされてきたはずです、あなたが頼りにならないから出て行かれたわけではありませんよ、と有常を慰めているのであろう。
この友だちからの手紙と贈り物を受け取った有常は、もちろん大喜びであった。

かくいひやりたりければ、 これやこのあまの羽衣むべしこそ君がみけしとたてまつりけれよろこびにたへで

また、

秋やくるつゆやまがふと思ふまであるは涙のふるにぞありける

有常はすぐに御礼の歌を贈る。
これはあの天の羽衣なのですね。それもそのはず、あなたがお召し物として身につけていらっしゃったものだもの。
「あまの羽衣」は天人の着る美しい衣装のことで、かぐや姫が月に帰る際に身につけた衣装で、贈られた衣装を天の羽衣に喩えてそのすばらしさを讃えている。「君がみけしとたてまつりけれ」という表現は、この天の羽衣はあなたが衣装として身につけていたものだと言って、友だちを天人になぞらえていっている。当時は、貴人が身につけていた衣装を脱いで与えるのが最高の褒美と考えられていたため、そのように言い、ありがたがっているのである。また、「あまの羽衣」の「あま」には、「尼」が掛けられていて、尼となって出て行く妻のための衣装という意味も重ねられる。なかなか技巧的な歌である。
ところが、有常は喜びのあまり、もう1首を詠む。
秋が来たのだろうか、それとも露が季節を間違えたのだろうか、と思うまでに、私の袖がぐっしょり濡れているのは、喜びの涙が降っているのでしたよ。
袖が濡れているのは露ではなくてうれし涙が雨のように降っているからだったと言っているのである。大変な誇張表現だが、それほどうれしかったということなのであろうか。