古典に学ぶ㊷ 『伊勢物語』のおもしろさを読む(30)─ なぜ第十六段に紀有常が登場するのか─
実川恵子
東下りに同行した友だちが誰かについては、『冷泉家流伊勢物語抄』と呼ばれる室町時代の注釈書には、「紀ありつね・定文等なり」とあり、有常も候補に挙げられている。その友が「ひとりふたり」とあり、一人なのか二人なのかはわからないが、一人は確実に紀有常だと考えてよいと思う。
先に読んだ東下りの中心章段である第九段の最初の場面である三河の国八橋のくだりで、昔男は同行者に「かきつばた、といふ五文字を句のかみにすゑて、旅の心をよめ」と言われて、
から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ
と詠んだ。この歌に詠まれた「つま」というのは昔男の正妻のことで、激しい恋に破れて泣く泣く別れてきた后がねの姫君ではない。昔男はどうして、ここで恋人のことではなく妻のことを歌に詠んだのであろうか。そのわけとはいかなることか。
もうおわかりだと思う。昔男に「かきつばた」の五文字を折句(おりく)にして旅の心を詠めと言ったその人こそ、紀有常だったのである。有常は昔男の妻の父であり、舅に言われてはさすがの昔男も恋人ではなく妻を恋うる歌を詠まざるを得なかったというわけなのである。
昔男の心中では当然姫君のことを第一に思っていたはずだが、このような流浪の旅に同行してくれる舅に気を遣ってあのような歌を詠んだのである。実はこのようなことも『伊勢物語』の作者がしかけた謎のひとつであり、こうしたことはとても興味深いことでもある。
また、初段の奈良の京の里で「女はらから」を見初めて狩衣の裾に書いた歌を贈った話は、昔男が正妻とした紀有常の娘との出会いを描いたものであるというのも、後の四十一段を読んではじめてわかるしかけになっており、『伊勢物語』はこのように読者にあれこれと考えて楽しませる、ある意味サービス精神にみちた物語だといえるのである。
さらに想像をたくましくすれば、初段の「女はらから」の垣間見ははたして偶然のことであったかが疑わしくなってくる。既に田舎となっている春日の里に、官人であった有常の姉妹が住んでいたというのも不自然である。ここにも作為のようなものを感じる。有常は、あらかじめそこに自慢の娘二人を住まわせ、昔男に垣間見させるべく設定していたとも考えられるかもしれない。
元服したばかりの昔男のために、女性との出会いの場が用意されていたとすれば、それは当然結婚相手との対面の場であったということになる。その場合、相手の女性は正妻となるべき人だから、その背後には女性の親や一族の意向があったと考えられる。有常は、昔男を娘の婿にしたいと望み、男の親とも相談して同意を得た上で、狩りを機会に娘を垣間見させ、昔男の心を惑わせて娘に求婚させようと仕組んだとも思われる。ずいぶんと手の込んだ演出だが、有常には美しい娘の魅力に自信があり、元服して大人の世界に足を踏み出したばかりの昔男の風流心を試してもみたかったのであろう。有常ならばそれくらいのことはやりかねないと思う。
昔男は、有常の企てにまんまとはまり、「心地まど」って恋文を贈ったわけだが、信夫摺の狩衣の裾を伐って当意即妙の歌を書くという「いちはやきみやび」に、有常は喝采を送ったにちがいない。この時が、昔男と有常が「いとねむごろにあひ語らひける友だち」となるきっかけとなったのであろう。
このように、『伊勢物語』の初段から第十六段までを一連の物語として詠むと、結婚、忍ぶ恋、悲恋、破局、流浪と展開する主人公昔男の波瀾に満ちた青春の物語は、紀有常を軸として考えた時、まことに首尾の整った緊密な構成の物語であると思うのである。
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