自由時間 (68)クリスマスのお話               山﨑赤秋

 

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生日であるかのように思われているが、そうではない。
 クリスマスとは、イエス・キリストの誕生を祝う日として、4世紀ごろに教会で定めた日である。これからは、12月25日にみんな一緒にイエス・キリストの誕生を祝うことにしましょうと決めたのだ。
 なぜ12月25日にしたのかというと、その日はローマ暦では冬至の日に当たっていたからというのが有力説である。言うまでもなく、昼の時間が一番短い日だ(昨年は12月22日で東京では9時間45分39秒。ただし、日の出が一番遅く、日の入りが一番早い、ということではない。日の出が一番遅いのは1月7日、日の入りが一番早いのは12月6日である)。
 イエス・キリストは自らを光に例えた。ヨハネによる福音書第8章12節に曰く、〈イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」〉
 明日からは昼の時間が長くなる、光を浴びる時間が長くなる。神の子イエスの恵みを感じることができる日としてふさわしいと思われたのであろう。
 太陽神を信仰していた古代ローマや冬の長い北欧では、太陽が力を取り戻す日として、冬至を盛大に祝った。仮装をしたり、ご馳走を食べたり、プレゼント交換をしたり、大木を燃やしたりして大いに騒いだ。クリスマスはそれに便乗し、それを受け継いだといえる。
 イエスの誕生日はいつか。その日を特定しようと多くの人が取り組んだが、何しろ2000年以上も前の話だ。そう簡単にわかるはずがない。結局わからずじまいだ。わかっているのは、おおよその年と、おおよその季節である。

 イエスの生年は、紀元前6~4年ごろとされている。根拠となるのは、その当時、ユダヤはヘロデ大王の治世下(在位:紀元前37~4年)にあったという福音書の記述が一つ。もう一つは、イエスは30歳ごろに宣教活動を始めたというこれも福音書にある記述に基づく。イエスは洗礼者ヨハネに洗礼を受けてから宣教活動を始めたのであるが、そのヨハネが洗礼活動を始めたのは第二代ローマ皇帝ティベリウスの治世15年=西暦28~29年のことである。それから「30歳ごろ」を逆算して推定したもの。
 どの季節に生まれたか。これも「ルカによる福音書」の記述に基づいて推定されている。イエスが生まれたとき、宿屋が満員だったこと、近くでは羊飼たちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていたこと、という記述である。このことから、何か人の集まるお祭りが行われていたこと、野宿できるような気候であったことが推測される。ユダヤ教の大きな祭りは、春・秋に行われるので、イエスもおそらく春か秋に生まれたとされている。なんとなく、雪の降る真冬に生まれたかのように思い込んでいるが、それはクリスマスとの混同である。

 さて、クリスマスは、キリスト教にとって復活祭と並ぶ重要な祝い事である。いずれの教会も盛大に祝う。中で、最も盛大かつ厳粛に祝うのはヴァティカンである。昨年の場合は、12月7日のクリスマス・ツリーの点灯式から始まった。サン・ピエトロ広場の中心にたつオベリスクの横に立てられた、高さ21㍍の赤樅の樹がLEDで埋めつくされて眩しい。
 点灯式と合わせて、ツリーの横に作られたプレゼピオのお披露目も行われる。プレゼピオとは、イエスの誕生シーンをかたどった模型のことで、毎年違うアーティストが制作する。昨年は、砂の彫刻だった。
 いろいろな行事が執り行われるが、一番重要なのは、クリスマス・イヴの12月24日午後9時30分からサン・ピエトロ大聖堂で行われるクリスマス・ミサである。深夜ではないが、深夜ミサ(midnight mass)と呼ばれている。
 定刻になると、多くの聖職者に囲まれてフランシスコ教皇が入場する。ミサは、朗詠、独唱、合唱、オルガン・オーケストラの演奏が、いろいろな儀式、朗読をつなぎあわせるように進行する。「牧人ひつじを」「きよしこの夜」「アデステ・フィデレス」など、馴染みのあるクリスマス・キャロルも歌われる。使われる言語はラテン語なのでチンプンカンプンであるが、配られたプログラム(88頁)には、英語とイタリア語の対訳が付してあるので、それを読めばわかる。最後に、祭壇に置かれていた赤ん坊のイエスの人形を、教皇自ら入り口にしつらえてあるプレゼピオに持っていく。ミサが終わったのは、午後11時20分。
 教皇の説教の一節。「人類はますます強欲になった。現在、多くの人が、所有すること、過剰に物を持つことに人生の意義を見出している。あくなき強欲で人類の歴史は形作られてきたが、今も、少数の人が豪勢な食事をしている一方で、生き残るための日々のパンもない人がなんと多いことか」

 ところで、話は変わるが、世界中でクリスマスを祝っているさなか、中国では、いろいろな店のクリスマスの飾り付けが公安の手で強制的にはぎ取られたり、教会の屋上にある十字架が撤去されたり、聖職者や熱心な信徒が拘束されたりしている。キリスト教徒の数が共産党員の数(9,000万人)を上回ってきたことを恐れてのことのようであるが、ウイグル人100万人が強制収容されているという話とあわせて、「宗教の中国化」の今後から目を離せない。