自由時間 (74) ハンセン病 山﨑赤秋
6月28日、熊本地裁が、ハンセン病患者への隔離政策により家族も深刻な差別を受けたとして、元患者家族が国に損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟について、国の責任を認める原告勝訴の判決を下した。
7月9日、同判決について、安倍首相が「異例のことだが、控訴をしない」と記者団に表明。12日には、正式に首相談話として発表した。異例のことというのは、控訴して法的に争うべき項目がいくつかあるということだが、難しい話は省く。とにかく、家族への人権侵害を考慮し、最終的に首相が判断したらしい。原告側も控訴せず、判決は確定。7月中にも首相が原告団と面会をし、謝罪することになった。
ハンセン病は厄介な病気だ、否、病気だった。現在では治療法が確立していて完治する。決して命を奪うという重篤な病気ではないが、身体の変形を引き起こすがゆえにかつては非常に恐れられた。
ハンセン病は、らい菌が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症である。感染症ではあるが、感染力は非常に弱い。感染するのは乳幼児期で、保菌者からの飛沫感染、つまり、咳やくしゃみで飛ぶ唾や痰をとおして感染するとされている。風邪と同じだ。しかし、感染しても発病に至ることは極めてまれで、よほどたくさんの菌を移されたとき以外は免疫システムが十分に働く。
菌の増殖速度は非常に遅いので、潜伏期間、つまり感染から発病までの期間は長いが、数年から数十年の幅がある。患者本人の免疫力や栄養状態をはじめとする様々な要因が関わるからである。
初期症状は皮膚にできる白または赤・赤褐色の斑紋で、痛くも痒くもなく、触っても感覚が無い。治療をせずに放置すると身体の変形を引き起こし障害が残るが、初期に治療を開始すれば障害が残ることはない。
らい菌が発見されたのは、1873年のことである。発見したのはノルウェーの医師アルマウェル・ハンセン。病名は彼の名に由来する。米国で有効な治療薬が開発されたのは70年後の1943年。以後さらに開発が進み、1981年にWHO(世界保健機関)が多剤併用療法をハンセン病の最善の治療法として勧告し、ここにハンセン病は完治する病気となった。
1991年、WHO総会はハンセン病制圧を決議し、患者数を人口1万人当たり1人以下にするという目標を掲げた。各国でハンセン病対策が強化され、2000年にはその目標が達成された。1985年には535万人もいた患者数は、2016年には17万人に激減している。治療薬の無料配布が功を奏したのだ。
ハンセン病は、紀元前の昔からあった病気だ。中国やインドの古文書や聖書にもその記述を見ることができる。日本の『日本書紀』や『今昔物語集』にもその記述がある。そのころから、その外見と感染に対する恐れから、患者たちは忌み嫌われてきた。
家の隅で隠れ暮らしたり、家族に迷惑をかけまいと家を捨てていわゆる「放浪癩」になったりする者も多かった。明治になると、諸外国から患者を放置していると非難を浴びる。政府は、「癩予防に関する件」(1907)という法律を制定し隔離政策を採用した。それがかえってハンセン病は伝染力が強いという誤解を生み、偏見を大きくした。
1929年には、各県がハンセン病患者を見つけだし、強制的に入所させるという「無らい県運動」が全国的に進められ、さらに、1931年には改正「癩予防法」が成立し、各地に国立療養所が設置され、すべての患者を強制的に入所させることになった。戦後もその方針は踏襲され、1953年には改正「らい予防法」が患者たちの反対を押し切って制定された。この法律の問題点は、療養所からの退所規定がなく、一生そこから出られなくなったということである。すでに特効薬が開発されていたにもかかわらず、強制収容が続けられたのである。
そのころ、世界はどう動いていたか。1956年開催の「らい患者の救済と社会復帰のための国際会議」(日本政府も参加)では、全ての差別的法律の撤廃、在宅医療の推進、早期治療の必要性、社会復帰援助等をうたったローマ宣言が採択された。次いで、1958年、東京で開催された「第7回国際らい学会議」では、強制隔離政策を採用している国がその政策を全面的に破棄するよう勧奨された。にもかかわらず、日本政府は無視し続けた。「らい予防法」が廃止されたのは、制定から43年後の1996年のことであった。
1998年、患者・元患者が熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提訴する。2001年、熊本地裁は原告(患者・元患者)勝訴の判決を下す。政府は控訴せず確定。国は原告に謝罪し、補償を行う。そして、今回、患者の家族への補償と謝罪も行われることになったのである。
最後に、16歳でハンセン病を発病し、国立療養所栗生楽泉園(群馬県草津町)で老衰のため91歳で亡くなった(2014)、魂の俳人・村越化石(本名・英彦)の句をいくつか。
ふと覚めし雪夜一生見えにけり
寺と寺つなぐ旅なり苗代田
小春日や杖一本の旅ごころ
山眠り火種のごとく妻が居り
生ひ立ちは誰も健やか龍の玉
闘うて鷹のゑぐりし深雪なり
除夜の湯に肌触れあへり生くるべし
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