韓の俳諧 (76) 文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第二回旅行⑩
臼田亞浪一行は、1935年10月23日の観光を終えて、昼には韓国人宿で松茸とシメジの料理を食べました。案内の美濃部禾舶が予定した日本人宿が、廃業していた為です。けれども、亞浪がこれは旨いとお代わりするほどで、安堵しました。宿の庭には芭蕉の花が咲いていました。
花芭蕉煙のにほひ残りけり 禾 舶(かはく)
韓国には松の木が多いので、以前は松茸がたくさん採れたし、茸鍋(ポソッジョンゴル)が旨いです。芭蕉はバナナ類で南方系ですが、冬の寒い韓国で意外に多く見られます。
この日の宿は、釜山の東萊(トンネ)温泉です。昔は釜山という名がなく、東萊でした。神奈川宿が、港が出来て発展した横浜に飲み込まれたのと同様です。旅の最後を静かに過ごしたい亞浪でしたが、夜は賑やかな宴会になりました。釜山の石楠支部は、亞浪の第一回旅行のあと、尾吹白葩(はくは)や京城日報の高須賀支局長等によって作られました。亞浪の顔を知らない人が多いので、この機会にと集まって来ました。歌や踊り、酒飲み競争へ至りました。飲み比べは西の石原沙人と、東の邑上(むらかみ)穂風の対決になり、巨漢の沙人が勝ちました。もっとも、沙人は翌日の昼頃起きて、朝飯はまだかと催促する始末でした。亞浪は部屋に引き上げても、揮毫に追われました。
24日は温泉でゆっくりして、亞浪は手紙を書いたりしました。夕日に、藤棚の影ができていました。
湯宿の藤の葉の乏しくて虫幽か 亞浪
硝子戸を雀が打つて澄む秋日 白葩
5時に東萊を出て、釜山鎮の城址が見える料亭・芳花へ着きました。高須賀支局長が主催の晩餐会です。釜山鎮は文禄の戦の小西行長軍と鄭撥(チョンバル)節度使軍の激戦地ですが、夕日に照らされた城跡や、徐々に灯される港の明かりが美しい所でした。
船の出る前に、向陽園に場所を移して句会となりました。向陽園は対馬から移住して成功した、福田増兵衛が各地から石を運んで築いた庭と建物がありました。大広間を「石楠」ばかりか「ホトトギス」や「天の川」など、多数の人々が埋め尽くしました。午後9時から披講で、そのあとも亞浪の講話など時間との競争になりました。
白菊へ黄菊へ星のささやける 亞浪
船は午後11時38分の出航で、船のサロンでコーヒーを一杯飲む余裕がありました。船の上で亞浪はいつまでも手を振り、目には涙が光っていました。大邱から釜山まで案内した禾舶は、ほどなく中国戦線で短い生涯を終えました。
平成31年3月号から、「韓の俳諧」が始まりました。切りの良い所でと、今回で終了となりました。隣国へいくらかでも関心を持って下されば幸いです。
アンニョンヒ ケシプシオ
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