韓の俳諧 (4) 文学博士 本郷民男
─ 蕪村の高麗船の句 ─
高麗船のよらで過ぎゆく霞哉
という蕪村の句があります。『落日菴句集』に書かれた順序からみて1769年までに詠まれていて、1764年の朝鮮通信使を見た時の句です。通信使の船は瀬戸内海を大阪まで航行し、小舟に乗り換えて京都に行くので、蕪村は瀬戸内海まで行ったのでしょう。
1899年に子規庵で開かれた「蕪村句集講義」(平凡社東洋文庫『蕪村句集講義1』280頁)で、子規はこの船を中国の船とし長崎か対馬で詠んだのであろうと、勝手な想像をしました。碧梧桐は、「よらで過ぎゆく」という表現を『猿蓑』の杉風作「手を掛ておらで過行木槿哉」から来たのでしょうと、ここだけ講義らしい議論をしました。
鮎くれてよらで過行く夜半の門
という蕪村の句もあり、こちらは『晋書』の王徽之伝(北京の中華書局版2103頁)から引いています。王徽之は書聖王羲之の息子ですが、ぐうたら役人でした。雪のあとの月夜に友人で琴の名手である戴安道に会おうと、酒を持って小舟で出かけました。遠いので途中で一夜を明かして翌日に戴安道の家の門前に着いたのですが、興がさめたと会わずに帰りました。
実際には明るくなってから門まで行ったはずですが、この故事を引く時は夜の門とするおきまりです。私は『晋書』を持っていますが、変人と自覚しています。王徽之の号が子猷で、「子猷尋戴」として『蒙求』が引いたので、皆孫引きします。文人画家の蕪村は故事の宝庫『蒙求』を愛読したはずです。高麗船の句に門がないですが、船が共通するので門外の出典ではないでしょう。
高麗船の句は、謡曲の岩船との関係も指摘されます。天皇に対して天の神が宝を与えようと、天の岩船が高麗唐土の宝を乗せて降りて来るというおめでたい曲です。だとすれば高麗船の句は、宝を乗せた高麗の船が霞の中から現れ、また霞の中に消えて行くという幻想的でめでたい句となります。
思ほえず袖にみなとのさわぐかなもろこし船のよりしばかりに
『伊勢物語』の「もろこし船」にある業平のこの歌も関係しそうです。後に二条后となる藤原高子との中を裂かれた業平が、袖を涙で濡らしました。大船が入港する時の大波を被るごとく美女ゝに。歌を知るほどの人なら入港時の大波を見たいのに、入港しないで残念と思ったことでしょう。
接待へよらで過行狂女哉
よらで過ぐる藤沢寺のもみじ哉
蕪村はこの形式の句をよほど好んだらしく、四句を確認できます。正岡子規もこれに倣って詠んでいます。
お宮迄行かで帰りぬ酉の市
よらで過ぐる京の飛脚や年の暮
蕪村は王徽之伝だけでも他に、
興尽きた雪にもこりず月の友
蓼の葉を此君と申せ雀ずし
などと詠んでいます。一句だけですが、蕪村が興味深い朝鮮通信使の句を残しました。
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