韓の俳諧 (5)                           文学博士 本郷民男
─ 朝鮮国 通事の俳句(上) ─

 江戸時代に朝鮮国の通事が詠んだ俳句がいくつか残っています。対馬藩の通訳は通事でなく通詞と書き、商人の子弟から養成しました。これに対し、朝鮮国の訳官は両班(ヤンバン)と常人(サンイン)との間の中人(チュンイン)から訳科の試験を経て採用した下級官僚が主で、管理職は両班の高官です(田代和生校註・雨森芳洲著『交隣提醒』平凡社21,22、329~337頁)。

 ① 父に似て子乃這かゝ類案山子可南(ちちににてこのはひかかるかかしかな)
 ② 青柳も手を伸ばしてや水の月
 ③ 萍屋今朝は阿乃岸に咲(うきくさやけさはあちらのきしにざく)
 ④ 初聲ハ聲以曽計杜鵑(はつごえはこゑいそげほととぎす)

 ①は李元植(イウォンシク)旧蔵(李元植『朝鮮通信使の研究』469頁)で、趙景安(チョギョンアン)作です。
 ②も趙景安作で、李元植旧蔵です。
 ③は朝鮮凝咲人という記名ですが、景安の印があり、李元植旧蔵です。これらは尼崎教育委員会の所蔵になりました。
 ④は号が梅軒の卞文圭(ビョンムンギュ)の作で、天理大学の所蔵です。
 ④の卞文圭は、1811年の朝鮮通信使の上通事です。1765年に訳官の家に生まれ、1801年の訳科の試験に合格しました。そのように経歴がわかるのですが、句の読みが問題です。「以曽計」は、それぞれ「い」「そ」「け」の仮名として使われますが、その読みだと字足らずです。やむなく、「にぞばかり」と読んでみましたが、「に」は無理があります。「いますばかり」とも読めますが、字余りになるし、鳥に敬語は変です。

 年毎耳咲也吉野乃山桜木遠王利天見与花能有加王(としごとにさくやよしののやまざくらきをわりてみよはなのありかわ)

 これも卞文圭の書いた和歌で、④と同じようにまるで万葉仮名です。これは定形なのに④の俳句が字足らずで不思議です。
 趙景安は、どの通信使の通事か、記録がありません。上通事なら名前が記録されますが、下位の通事は記録されません。最近、趙景安と同僚の朴徳源(パクトグウォン)が合作の掛軸を、1780年頃と特定する研究が現れました(岡部良一「小通事・朴徳源の再検討」『朝鮮通信使地域史研究創刊号』2015年)。彼等は朝鮮通信使の通訳ではなく、「朝鮮渡海訳官使」として対馬へ来たと思われます。趙景安の活動期間はそのころと推定できます。③は本人の句でなくて、麦林舎乙由作(勝峰晋風『日本俳書大系5芭蕉時代五』465頁)です。凝咲人と書いたのは、そのためでしょう。①の案山子は、韓国にもホスアビとして案山子があります。卞文圭は1809年の朝鮮渡海訳官使として対馬に来ているので、④を1811年とする通説に疑問も出ています。
 なお、①から③は李元植氏が収集し所蔵していましたが、その後尼崎教育委員会の所蔵となりました。