韓の俳諧 (16)                           文学博士 本郷民男
─ 俳誌上の俳句相撲 ─

 和歌の多くが歌合(うたあわせ)から生まれました。俳諧でも句合(くあわせ)が盛んで、同じ題で詠んだ句の優劣を競いました。芭蕉の『貝おほひ』も、句合です。俳諧がより大衆化すると、発句相撲として土俵や行司を用意し、東西の発句力士が発句を詠み、行司が勝力士に軍配を挙げました。明治7年には景品を付けた発句相撲を止めるように布達したとか、『郵便報知新聞』に、布達に共鳴する投書が載るといったこともありました(加藤定彦「俳諧大衆化の二方向─形式の縮小化と数量の拡大化─」)。
 『俳諧鴨東新誌』78号(明治25年4月)に、次のようなのがあります。
   闘句
蝶二つ心一つに遊びけり但馬 友松
蝶一つ一つの花を競ひけり朝鮮 舟湖
   同 小結
群るる蝶尖り寒さの放れけり朝鮮 春湖
蝶は羽に日和を乗せて遊びけり諫早 文露
   同 大関
繋がれし様に狂ふや蝶二つ伊予 長水
花のてふ風の油断を眠りけり朝鮮 蒲帆
 前もって「蝶」という題で闘句を募集し、編集部で整理して取り組みを考え、各地の宗匠に行司を依頼して判定しました。友松は一と二、舟湖は一という数字を詠んでいるので対戦させたという具合です。大関戦には、筑前の不及庵来霞の評が付いています。東の長水の句は、繋がれたようにして力を競うのは面白いが、表現が窮屈である。西の蒲帆の句は、花に風の取り合わせが良く、花の蝶が風の油断に乗じて眠っているのは、情景が眼前に浮かぶようであるとして、蒲帆の勝にしました。蒲帆は大関に叶うとして、銀扇を授与されました。天皇賜杯とはいきませんが。
 『俳諧鴨東新誌』82号(明治25年8月)
   闘句 大関
水よりも朝空凉し蓮の花天草 芝山
静かなる物や蓮の開く音朝鮮 塘雨
 これには、尾張の寄陽園寄陽の評があります。芝山の句も名作ではあるが、「水よりも」に多少の弱みがある。塘雨の句は、寂寞とした情景が浮かんで来る。音のするような大きな花は他にはなく、珍重すべきである。として、塘雨が勝で大関であるとしました。
 この後になると、勝者に軍配の記号を付けて、一目でわかるようにしました。
 125号(明治29年3月)
動かぬは鷺の常なり春の雨春湖
†手枕の夢面白し春の雨日向 梅霞
東悪くはなかるべし西手枕の夢奥ゆかし
†春雨や枕に開く筆の花安芸 柏崎
春雨に濡れて来る子よ何貰ひ春湖
東可なり西意趣聞き取り兼ぬる思ひあり
 この号の春湖は不調でした。しかし、闘句には引き分けもけっこうありました。両者に軍配を付け、行司預かりとするのです。