韓の俳諧 (28)                           文学博士 本郷民男
─ 聴秋と『京城日報』 ─

 『京城日報』は『ホトトギス』系とされることが多いですが、決してそうではありません。韓の俳人多数が京都の上田聴秋が主宰した『俳諧鴨東新誌』に投句していたことを述べて来ました。その上田聴秋撰の俳句が、明治45年(1912)2月3日の『京城日報』に掲載されています。
   京都花本聴秋撰
   木乃芽會第九回秀逸順逆
丹精は稲に残りて落し水松涯
名月は雨に取られて後の月其外
菊の香や熨斗張つた鉢付けて行く和山
しつとりと濡れて月待つ芒かな水戸坊
整理せし耕地に稲の垂れ穂かな双山
古寺の一夜泊まりや木の實降る水戸坊
公事沙汰も淀まず解けて落し水鶴涙
名を聞いて一人ゆかし菊の花八州
花芒風堪へ兼ねる景色かな八州
水落とし落とし出来栄え頷きぬ竹雨
日に酔ふて赤らむ空や夕紅葉半山
馬子唄ふ正体見せて花芒酒堂
どの里も豊かに見ゆる稲の出来抱月
雨風の労に誇らぬ案山子かな螺炎
蟹追ふて出るや山田の落し水初心
野も山も澄むや高々後の月麓村
先づ農も一段落や落し水秋雪
田の中に移せぬ塚や花芒螺炎
常に気のわかけれどこの秋の暮秋雪
野も山も茜に暮るる紅葉かな抱月
改良の稲誉めて居る翁かな松涯
障子張る糊の香りや秋の暮水戸坊
   盛吟三光
人 案山子にも友の出来たる雀哉酒堂
地 紅葉して山一はいの夕日かな八州
天 業卒へて帰る我が家の木の実哉八州
加 琴爪のとんだ行衛や秋海棠 聴秋
 これらの俳人の内で、完全にわかるのは、螺炎こと今村鞆だけです。今村鞆(1870~1943)は、巡査から身を起こして高官となり、引退後は民俗学者、川柳作家、俳人など多方面に活躍しました。他には、中野和山、森脇双山、齋藤水戸坊、谷川竹雨が、京城に住む俳人とわかるだけです。
 2月17日には、次の第十回も掲載されました。
   遠江大蕪庵十湖宗匠撰
   木乃芽會第十回撰句逆列
普請場の鑿も音よき小春かな螺炎
芭蕉忌や軸は杉風か筆の跡水戸坊
人 壱岐対馬眼界世星小六月酒堂
地 洛外に杖を引く日や返り花半山
天 幾千代もかはらぬ菊の佳節かな八州
軸 歳旦を中にはさんで冬籠十湖
 第十回では浜松の松島十湖(1849~1926)に撰を依頼しました。京城には木乃芽會という団体があり、旧派の大宗匠に撰を依頼する勢力がありました。