韓の俳諧 (31) 文学博士 本郷民男
─ 雑誌『朝鮮』のオンドル会 ─
雑誌『朝鮮』は植民地時代の、代表的な雑誌で、俳句が掲載されました。縮刷の影印版が復刻されています。その創刊号、明治41年(1908)3月号にオンドル会小集という記事があります。
節分の夜に亦集つて煎餅を齧り番茶に喉を潤して句を作つた。オンドル会と名を付けて句を作るのも早や3年になる。その前からも京城でやつて居つた。歳月を重ねても各自の俳句には何らの進境もみゑぬ。去年の夏も今年の春も依然たる呉下の舊阿蒙ぢや。会員も名前も数へると随分多数に上るが、ここにも植民地の状態は免れぬものか。新陳代謝とでも云ふべき出代り入代りで、3年前の連中は顔を見ることが少ない。俳熱が冷却すると2ヶ月も3ヶ月も会をやらぬこともある代り、また急に思ひ出しては病み付きとなつて月に2,3度も催すことがある。
会員の種類はヨボ式勲何等とやら云ふエライ方もあり、何とか官とか称する肩書付きの奏任官も存しますが、実業家もあり、乃至は半ヨボ化した腰弁式の小生まで居て上下混合ぢや。嘗ては博士と名の付く人も会員だつた。代診めきた医者殿も御座つたが、今は皆去つて此地に居らぬ。満韓経営を双肩に荷ふて豪傑がる偉物も、カスメチック使用の高襟君も、蓬頭垢面の御人體も、念を入れて能く見ると顔の何處かに間の抜けた處があつて、何となく淋しい気がする。大方これは俳句の寂が付いた所為でゞもあらうか(牛記)。
厄落とし我が褌の片むすび 清風
緑酒紅燈鬼やらふや支那の町 杜鵑
四十二の厄落としけり質の札 牛人
厄落しチョンガに与ふ四十二文 世耄吾
人妻になる身を今宵獏枕 螢雪
二粒の豆に描きしや鬼と福 目池
韓半島が植民地になったのは1910年ですが、事実上の植民地でした。呉下の阿蒙は『呉志』呂蒙伝にあります。呂蒙が無学だと思って議論したら、別人の知識人になっていました。呉下阿蒙は進歩のない者の意で使われます。ヨボは配偶者を呼ぶときの語を、朝鮮人という意味の蔑称で使いました。
これを書いた牛人(橋本林松)は、1871年に京都市東塩小路で生まれ、京城の永楽町に住んでいました。詩号が孤雲とあるので、漢詩人です。新羅最高の学者で詩人の崔致遠(チェチオン)が孤雲なので、豪傑なのか無知なのか。腰弁と自称しているので労務者と思いきや官吏です。食事は使用人が作ったはずです。1914年の俳人名簿中で、中村烏堂が牛人の死を惜しむと書いています。目池は『京城日報』編集長の松尾茂吉です。
俳句は、節分の晩の厄落としの句が中心です。男の本厄は42とされ、そんな数字が並んでいます。牛人にしろ目池にしろ、42歳を越えるのに力尽き、韓の土になりました。牛人は京城の俳人としては年長のリーダーであったと思われます。
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