韓の俳諧 (33)                           文学博士 本郷民男
─ 烏堂の五の日十の日会 ─

 ㉙回で、烏堂(中村富次郎)に言及しました。碧梧桐の新傾向俳句の俳人です。その烏堂が『五の日十の日』という俳誌を創刊したというのですが、発見することができません。けれども、句会があった記録は新聞や雑誌に残っています。雑誌『朝鮮及び満州』110号(大正5年9月号)を見ましょう。
  五の日十の日会句屑
瓜番のぢつと立ち煙草芳草楼
瓜番のごろ寝の畑をつつきる田柿
藪風立ち瓜に蝿動ず浮碧楼
屋敷に育ち桔梗咲きけり
寝台下日盛の蜘蛛の出歩き
足を浸せば桔梗眉すりぬ坡柳
大雷雨明かりし夕の桔梗烏堂
日盛り銅山の黄な烟
蓮田めぐり脛まくり歩く
蔓に連れゴロゴロ瓜の別れかな虎耳
瓜屑撒ける喪家の犬かな目池
 これらの俳人で芳草楼はどんな人物かわかりません。田柿は杉原太之助で、公務員です。浮碧楼は清水正夫、虎耳は江口虎次郎です。目池こと松尾茂吉は京城日報の編集長です。坡柳は高沢坡柳(1886~1976)として、息の長い自由律俳人だったようです。大正時代には自由律俳句が盛んで、五の日十の日会は、自由律であったと思われます。しかし、瓜や桔梗を兼題か席題とする句会と推測されます。みな京城に住んでいました。
 114号(5年12月号)にも、同じ会と思われる句会報が載っています。
  十夜吟句屑
屏風ひそと山茶花明かり浮碧楼
あるじ羽織地を摺るよ山茶花
客あるよろこびの霰窓うつ坡柳
俵軽う運ばれ踏まるる霰
時雨湯槽広くおちつき黄丘
蜜柑畠母の黒の仕事着華虹
蜜柑もぐ掌の冷え虎耳
兵に行く名残の庭掃く芳草楼
竈の煙霰空に蒼し乙雨
蜜柑の霜日和刀研ぐ目池
霰来る銀杏坊主木の鎮まり
八手畳み霰降りこぼれ烏堂
杉木立霰の二の鳥居
ぶら提灯の曖昧の霜夜かな
 ―浮碧楼採録
おそらく11月10日夜に、霰や蜜柑を題として開いた句会でしょう。五か十の日に集まったから、五の日十の日と付けたのでしょう。
 ここで蜜柑ですが、禹長春(ウジャンチュン)博士が1950年代に栽培に成功するまで、韓国では栽培できませんでした。ただ、移住した日本人は九州や山口の人達なので、故郷が蜜柑産地でした。禹長春博士は、大韓帝国の王妃を暗殺した父と日本人の母の間に生まれ、韓国農業の父と呼ばれています。釜山に禹長春記念館があります。