韓の俳諧 (37)                           文学博士 本郷民男
─ 蕉禅世界 ④ ─

 大正4年(1915)の俳句雑誌『蕉禅世界』2月号の続きです。主宰ではない判者の第二雑詠と云うべき欄があります。
  ⦿千鳥の巻
 東京眞風舍乙年女宗匠撰
秋晴れや庭の東は萩の垣 羅南 寒月
鹿を友に詩歌管弦の宇治住居 同 同
初雪や松のみ青き入る日かげ 会寧 静碧
吾庭の雑木林や風かほる(ママ) 同 同
名の知人なくて捨てたる茸哉 伊勢 樹声
大仏のお煤も澄みて月冴ゆる 羅南 其雲
湯帰りの素足冷たし秋の暮 下社地 在石
菊の香を匂はせけらし秋の風 鏡城 蘇水
柿の葉の黄ばむ風情や馬の声 公州 詩泉
碇泊の船の灯寒く千鳥啼く 漁大津 尚海
立ちてみる氷の下や魚の住む 同 東波
初雪は旭の出る迄の寿命哉 同 美節
袴着や重げに佩きし黄金太刀 淸津 尚美
若菜売る女もゆきて春の雪 鏡城 秋錦女
初雪に石灯籠のとぼしかな 羅南 松苔
  ▲巻中秀逸
菊の根を分ける心地や春の雨 鏡城 盛美
初雪や冬の景色を引き立つる 漁大津 美節
気掛りな鴉鳴くなり枯れ柳 同 尚海
  ⦿人位
山門に入れば眼にたつ椿哉 漁大津 忠山
  ⦿地位
静まりし夜の奥深し霜の声 同 かたほ
  ⦿天位
三日月の落てから散る柳哉 鏡城 秋錦女
  ⦿加章
吸上る水に又散る柳哉 判者 乙年女
 判者は、眞風舍桑月の二代目と思われます。「桑月。川俣。渡辺彌一郎。眞風舍と号し、書画もよくした。弘化3年(1846)生、明治41年(1908)没。63歳。「明治俳諧金玉集」の著がある。」(『福島県俳人事典』)桑月は著作も多く晩年は東京に出て、全国区の俳人となりました。残念ながら、乙年女のことはわかりません。『蕉禅世界』主宰の風見坊玉龍は、眞風舍桑月と同じ福島県人の三森幹雄の弟子です。旧派俳諧の大御所であった三森幹雄の人脈から、乙年女に判者を依頼したのでしょう。
 投句者の住所を見ると、伊勢や公州などを別にすれば、発行地の鏡城と同じ咸鏡北道です。韓半島の東北端に多数の俳人がいたのです。『蕉禅世界』には、「大正3年度点取番付」が載っています。天の秋錦女と人の忠山は、前頭です。この号には名がないものの、鏡城の一契女が大関、前頭には花景女や深雪女が載っていて、女性俳人もいました。
 俳句を見ると、いろんな季節が含まれています。「俳句大募集」という広告があり、四季随意と明示されています。入花という投句料が十句一組で二十錢、超過一組ごとに五錢なので、大量の投句があったでしょう。「主評、風見坊玉龍宗匠、客評名家宗匠交代撰」とあり、眞風舍乙年女宗匠が、月番の客評ということです。