韓の俳諧 (46)                           文学博士 本郷民男
─ 忘れられた朝鮮公論⑦ ─

 「私は或日雑誌朝鮮公論を見て意外な事實を発見した。其は角田不案氏選の歌壇に、木浦の朴魯植(パクロシク) として短歌が幾首も並べてある。前月号を見れば其にも出てゐる。私は俳句ばかりを勉強されてゐるとばかり思つて居たのに、其を見て開いた口が塞がらなかつた。」安達緑童「鮮人と松尾芭蕉」『カリタゴ』昭和8年7月號・朴魯植居士追悼號

大正11年3月号 歌壇 角田不案選朴魯植

遊びつかれ吾が膝しきて子はいねぬまこと罪なきその寝顔かも
すこやかに我が子おいたちてみとせへぬ言葉を覺へ語ふまでに
つゝましく別れたるかなたまきはる命もけぬがと思ひし人と
同公論俳壇 青木静軒選
細き雨に烟る川邊の柳かな 木浦 朴魯植
大正11年4月号  短歌 角田不案選朴魯植
ほの青き星の光の宵の窓君にうたへば心わりなし
此の夜かもいねがてにつゝうつそみの泪かなしと君に告げまく
かなしさに堪ふべくもあらぬうつそみのわけて若きはつらしと泣くかも
けなげにも人と別れて來しものゝこのさみしさをいかにかはせむ
つはものがふくやらつぱのねはさゆれ兵舎の裏の丘のまひる日
同公論俳壇 青木静軒選
蠅とまれば猫耳振う長閑さよ 木浦 朴魯植

大正11年5月号公論俳壇 青木静軒選
菜の花や夕月映ゆる邑静か 木浦 朴魯植
啞の妹わきめもふらず蓬摘む 同 同人
菰の儘苗置く夜や春の露 同 同人
 朝鮮の子規と言われた朴魯植(1897~1933)の資料は、村上杏史編の『朴魯植俳句集』くらいしかありません。『ホトトギス』と『カリタゴ』だけから収集したので、大正12年の句が最古です。
 大正11年3月の朝鮮公論歌壇と俳壇に、朴魯植の作品が登場しました。注目されるのは、3月に三首、4月に五首の短歌が採られているのに、俳句は各一句です。昭和3年の『鮮満昭和俳人名鑑』に、朴魯植は趣味として、「かるた、短歌」を挙げています。また、朴魯植は恐らく十代の頃からかるたの選手で、並みの日本人など到底及ばない強豪であったと、知人達が書いています。
 先の緑童は4月号を見て、二兎を追う者で成功したことを聞かないから、どちらか一方を捨てるように勧める手紙を出しました。2日後に朴魯植から返事が来て、短歌を捨てて俳句に専念するという答えでした。それで、5月号に短歌がなく、俳句が三句載りました。
 短歌に専念したら憶良の再来になったのではないかと、短歌の才が惜しまれます。