韓の俳諧 (6) 文学博士 本郷民男
─ 朝鮮国 通事の俳句(中) ─
対馬藩士の中川延良(号は楽郊)が著した『楽郊紀聞』に、朝鮮国通事の朴徳源(パクトグウォン)と、徳源の俳句が書かれています(『楽郊紀聞2』平凡社137頁)。釜山に草梁倭館があって、対馬藩が外交と通商を行っていました。住居と貿易のための東館と、外交の場である西館とがありました。西館に僧と女性が描かれた掛け軸があったので、朴徳源が「珍しや法師の前に女とは」と話したのを、1851年に住永清作から聞いたとあります。また、朴徳源は、次のような俳句も詠みました。
西東同じ心の月見かな
朴徳源の俳句で知られていたのは1句だけでしたが、管宗次教授が「朝鮮通信使の残した発句短冊」を韓国の論文誌(『日本文化学報』第9輯2000年)に発表しました。
泰平や具足の餅のかびる迄 朝鮮聾窩
聾窩は朴徳源の号で、事情がわかりませんが短冊を入手したそうです。この句について鬼貫の『鬼貫句選』の最初のほうにある、
我宿の春は来にけり具足餅
(勝峰晋風『日本俳書大系5芭蕉時代五』23頁)との関連を指摘されています。具足餅は鎧と甲の前に供える正月の鏡餅です。
これまで朴徳源を1748年の朝鮮通信使の小通事とみる説が有力で、管教授も1748年の短冊と主張しています。この時は小通事9 名とあって名が不明です。次の1764年の通信使の記録は小通事10名とある次に、全員の名前が書いてあります。消去法で、朴徳源を1748年の9人の1人と見ます。
しかし、『楽郊紀聞』の続きに、「但文化信聘の始まりし後に、訳使等が姦計の事に党して、彼国より、館周辺にて刑せし由也」とあって、1811年の通信使の準備をしている時に、朴徳源は通事が起こした事件の罪人として処刑されました。先の逸話にしても、朴徳源を知っていた住永清作が、1851年にまだ健在と解されます。鬼貫は芭蕉時代の人ですが『鬼貫句選』は1769年の刊行なので、それを参考にして1748年に句を詠むことは不可能です。
朴徳源に疑問を持ったのが歴史教員だった岡部良一氏で、美術史家の片山真理子氏の研究成果も利用し、定説を覆す論考「小通事・朴徳源の再検討」を発表しました。
建仁寺両足院に、阿倍仲麻呂の漢詩を朴徳源、和歌を趙景安が書いた掛け軸があります。漢詩は「銜命使本國(めいをふくんでほんごくにつかいす)」で、玄宗の命令で日本へ行くとして、中国から帰る心境を詠んだものの、海難で帰れませんでした。対馬には以酊庵があり、朝鮮国宛ての漢文公文書を作成していました。京都五山の禅僧が、輪番で朝鮮修文職を担当しました。両足院の高峰東晙が1779年から1781年まで、輪番僧として以酊庵に赴任し、その間の1780年に朝鮮渡海訳官使が対馬へ来ました。掛け軸はその時に書かれたはずです。
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