韓の俳諧 (63)                           文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第一回旅行② ─

  臼田亞浪は1928年5月4日朝に、連絡船で釜山へ上陸しました。桟橋のすぐ近くの駅から、9時30分発の京城行の特急に乗りました。同行したのは西村公鳳と、京城から夜汽車で着いたばかりの庄司鶴仙です。日本国内の鉄道は狭軌ですが、韓半島の鉄道は国際基準の標準軌道(1435ミリ)で、ゆったりしています。しかも、最後尾の一等展望車に乗りました。眺望が楽しめるファーストクラスの車両です。
 韓国は高い山がないものの、平野がなくて低い山がたくさんある地形です。山に土葬して土を盛り上げるので、土饅頭のような墓がたくさんあります。お墓を山所(サンソ)と呼びます。臼田亞浪は、墓とカササギの多さに驚きました。カササギはカラスの仲間ですが上品な鳥で、九州北部にしかいない日本と違い、どこにでもいます。半島の東部を全長525キロの洛東江(ナクトンガン)が南北へ縦断していて、車窓から洛東江と暫く付き合います。
 12時頃に大邱(テグ )へ着き、食堂車で昼食を楽しみました。大邱は盆地ながら珍しくも広い平地で、日本なら名古屋にあたる大都市です。列車が進むにつれて、「石楠」の人々や京城日報の人々が出迎えに来て、乗り込んで来ました。夕方の7時40分に、ようやく京城駅へ着きました。駅には数十名の人々が、出迎えに現れました。京城日報では編集局長や写真部員を動員し、記念撮影が行われました。駅からは自動車に分乗して、備前屋旅館へ入りました。

5月4日 洛東江畔にて二句 臼田亞浪
 大江の濁りカチ鴉かすみけり
 幟見れば吾子らおもほゆ高麗の旅
同日 大邱附近二句 臼田亞浪
 照り霞この赤土の踏むべしや
 芽柳の水かぶる日も思ひ見つ

 韓国語で鵲を「カチ」、鴉を「カメギ」と呼びます。日本人が「カチ」という音と鴉を組み合わせて、「カチ鴉」として鵲に充てました。面白いことに、九州北部の人も、鵲を「カチ鴉」と呼びます。鵲は秋の季語ですが、「カチ鴉」は無季の扱いです。
 幟の句は、「瓜食めば子ども思ほゆ…」の山上憶良を思わせます。憶良は韓半島から亡命した渡来人の子とされます。高句麗の末期に、「高麗」と名乗った時期があります。そこで、高麗(こうらい)とは別に、高麗(こま)と読んで高句麗を指すことがあります。また高麗(こま)として時代も地域も越えて、韓国・朝鮮の全部を指すことがあります。臼田亞浪は子がいなくて、後に養女次いで婿養子を迎えました。
 韓国は日本よりも雨が少ないです。西村公鳳が、臼田亞浪は涸れた川を痛ましそうに見つめていたと書いています。乾いた赤土、さらには涸れた川のほとりの柳を見て、柳が水をかぶるほど雨が降る日を想像しました。