韓の俳諧 (64) 文学博士 本郷民男
─ 亞浪の第一回旅行③ ─
臼田亞浪は1928年5月5日に、「石楠」同人の案内で京城市内を観光しました。京城日報や朝鮮総督府内の銀杏盟楠會を訪問した後、景福宮(キョンボックン)に行きました。景福宮は朝鮮王朝の宮殿でしたが、正門の光化門(クヮンファムン)を移設して、正殿である勤政殿(クンジョンジョン)の前に巨大な朝鮮総督府庁舎が建てられていました。勤政殿の前庭は石畳で、正一品・正二品等の座席を示す柱が立っていました。しかし、石畳の継ぎ目には雑草が生えていました。
五月五日 勤政殿 臼田亞浪
石畳ぺんぺん草も實になりて
一品二品薺は花もなくなりぬ
石畳の句は旅行吟として知られています。一品の句はこのあと赤松鳴潮の家で一休みした時に、夫人に求められて書いた句で、句集等に載っていません。どちらも王宮荒廃の象徴としてのぺんぺん草でしょう。総督府の食堂での歓迎昼食会の後に、昌徳宮(チャンドックン)の秘苑(ピウォン)へ行きました。
昌徳宮は景福宮に次ぐ宮殿で、併合で地位を追われた最後の王や家族が住んでいました。秘苑はその後宮で、朝鮮王朝の最も壮麗な庭園です。秘苑で亞浪は加藤觀覺から説明を受けました。苑内に多くの楼亭があり、中央の亭は王の御座所であると説明されました。ところが、徳島商業の学生の団体がやってきて、土足で上がり込み大声でわめき出しました。亞浪はたまりかねて觀覺に「立場をかえて考えて御覧なさい」と語りました。
5月5五日 昌徳宮秘苑二句
殿作りいみじく春の惜まるる
鷺の巣に梢涸れして松あはれ
学生達の乱入した建物は芙蓉亭(プヨンジョン)でしょう。芙蓉池に面し、平面が「亜」字形で、上段の間が設けられています。鷺は集団で高木に営巣し大量の糞を降らせます。私の住んでいた慶州では東国大学校の校内に、鷺の大団地がありました。東国大学校は仏教の大学なので、鷺を追うような殺生をしません。秘苑も同様に鷺の楽園でしょう。赤松鳴潮が「青さぎの糞に枯れゆく苑の松」と詠んでいるので、白鷺よりも大きな青鷺です。
次に維學院を訪れたとありますが、成均館(ソンギュングヮン)でしょう。孔子を祀る大成殿(テソンジョン)と、最高学府の明倫堂(ミョンリュンダン)があり、朱子学を教えました。日本は韓国から朱子学を学びました。豊臣秀吉軍に拉致された姜沆(カンハン)が、藤原惺窩(ふじわらせいか) を経て林羅山へ朱子学を伝え、昌平坂学問所が開設されました。跡地が湯島聖堂と東京医科歯科大学です。5日の夜は長野県人会の宴席が設けられて亞浪が主賓でした。
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