韓の俳諧 (7)                           文学博士 本郷民男
─ 朝鮮国 通事の俳句(下) ─

 朝鮮通信使を知っていても、朝鮮渡海訳官使を知らないだろうと思います。江戸まで来た通信使は江戸時代を通じて12回だけですが、対馬まで来た訳官使は55回もありました。韓国では問慰行と呼びます。ともあれ堂上訳官を正使、堂下訳官を副使とする50人以上が、かなり頻繁に対馬を訪れました。
 江戸時代に俳句や和歌を詠めた外国人はまず朝鮮国の通事なので、訳官使を考慮しなかった従来の研究は、書き直しが必要です。但し、韓国でも洪性徳(ホンソンドク)『朝鮮後期問慰行(ムンウィヘン)に関して』という1989年の修士論文あたりから研究が始まり、まだ新しい分野です。日本語では仲尾宏『朝鮮通信使と徳川幕府』明石書店1997年に附載の「朝鮮渡海訳官使と対馬藩」が簡便な文献でしょう。
 朝鮮通信使の作品の研究は、対馬とお寺に残る物が中心でした。通信使の宿舎がお寺だったためです。訳官使においても、お寺が重要です。対馬には以酊庵が置かれ、五山僧が輪番で長老として朝鮮修文職を務めたので、彼等を追跡すれば対馬から持ち帰った朝鮮国通事の俳句があるかも知れません。
 建仁寺両足院は、何人もの僧が以酊庵に赴任し、大量の資料が残っています。それを丹念に調べている美術史家の片山真理子氏のおかげで、朴徳源(パクトグウォン)と趙景安(チョギョンアン)合作の1780年頃の掛け軸が見つかったわけです。
 香川県観音寺市の興昌寺からも、片山真理子氏の調査で、朴徳源の俳句二句と和歌二首が発見されました(「東福寺二七三世願海守航と興昌寺蔵朝鮮通信使関係詩箋貼交屏風について」『立命館文学』第659号、2018年)。いろんな書画を張り付けた屏風がはりまぜ屏風で、1811年の朝鮮通信使のものなど、57枚を貼り付けてあります。朴徳源作は次の通りです、
昨日まて目のまふいとの落葉かな
散華(ちるはな)をうけて開くやさくら草 
思ふことなど問う人のなかるらむ仰げば空に月ぞさやけき
そなたぞとさすか呻る枝葉なる野原の末のさを鹿の声
 ①でまふを眩ふとすると、目が回る、目がくらくらすると言った意です。井戸に落ちた落葉が、昨日までそんな様子だったでしょうか。はりまぜ屏風を精査した岡部良一氏から、

昨日まて目のまふいけの若葉かなが

正しいというご教示を得ました。若葉なら昨日までまぶしいほどだったのに、今日は池に落ちているということで納得できます。
 ②は、上から散り落ちて来る桜の花を受けて、地面でさくら草が咲いていると表現しています。どちらも時間の要素や動きがあり、俳句特有の静止画ではなく、動画の詩です。
 朴徳源は俳句だけでも四句を残したすぐれた文人です。朴徳源や趙景安の事績が、岡部良一氏によって解明されて来ました。
 岡部良一氏から、「朴徳源に関する新資料考」『朝鮮通信使地域誌研究』第2号、2017年の抜刷などの資料のご提供とご教示も賜りました。御礼を申し上げます。