鑑賞「現代の俳句」 (97) 蟇目良雨
鳥はみな眼をみひらきて春の朝 大石悦子[鶴]
「鶴」2016年5月号
孟浩然の「春暁」、清少納言の「春は曙」は春の早朝のこと。ある歳時記で片山由美子氏は春の朝とは午前十時ころまでと云っている。そうして鳥を観察すると、鳥は食事などの一仕事を既に済ませていることになるか。次に眼をみひらきてすることは何か。恋だと考えると俄然と句が面白くなってくる。
認識と抒情の間に豆を打つ 内海良太[万象]
「万象」2016年5月号
豆撒きの句としては変わっている。豆をどこに打つのと聞かれて、認識と抒情の間に打つと言っている。少し説明を要するが「万象」は「風」の流れを忠実に汲む結社であり、「即物具象」から始まって沢木欣一が唱えた「写生」と「認識」を今も模索している。それに対して作者は、自分は抒情も大切にしたいので「認識」と「抒情」の間を進みますよと宣言しているように読める。同時作〈千代田区の三番町を春一番 良太〉。こちらはまさに認識と諧謔の句である。
一方、同号に会員の句の選者を務める飛高隆夫氏が〈きさらぎと呼べばきらきらしてきたる 隆夫〉〈小柄なり乙女椿の初の花 隆夫〉を発表している。こちらは認識をベースにしているが完全な抒情句と思う。認識を取るか抒情を取るかはこれからも難しいテーマだ。
不意打の春の雪掻く彦根城 藤田純男[繪硝子]
「繪硝子」2016年5月号
予期せぬ春雪に降られて一句が出来たと思う。句意は彦根城の雪掻きで慌てふためいている様子が「不意打ちの雪」から窺われる。しかし、作者が「不意打ち」と敢えて言った訳は、あの桜田門外の変の歴史を背後に塗り込めているからであろう。水戸浪士による不意打ちの井伊直弼暗殺も時ならぬ旧暦3月3日の出来事であった。江戸と彦根と場所を違えたにしてもあの時の驚きは鮮明に出ていると感心した。春の雪が動かない。
里宮の神鈴絶えぬ農具市 柏原眠雨[きたごち]
「俳壇」2016年5月号
私の農具市の思い出はもう半世紀以上前のことになってしまったが、今でもありありと思い浮かべることが出来る。農道を使ったり乾ききった田を会場にして新しい農具を展示販売する。かつては焼玉エンジンのどっどっどっどという響きが会場を奮い立たせていた。掲句はそのすぐそばに村の鎮守があり農民は引っ切り無しに今年の家族の安泰と豊作祈願の鈴を鳴らしているという光景。高価な農具を買って借金漬けになる農家が最近多いという。
食べられるかとも匂ひて春の土 中坪達哉[辛夷]
「俳壇」2016年5月号
農業は土作りからと言われる。それぞれの作物に合った土を前年から準備して作り上げて初めて得心のゆくものが育ちあがる。大根、牛蒡、人参などの根菜でも抜きたてを土の付いたまま食べる光景を目にするが、掲句はそんなことを見て出来た句だと思うが、食べられるほどによく匂った土を通して農業従事者を褒めたたえているのであると思った。
雛段の裏の遊びの続きをり 辻美奈子[沖]
「俳壇」2016年5月号
雛段の前できちんと雛祭をするおとなしい子ではなく、雛段の裏側へ潜り込んで遊んでいる子らを詠ったもの。お転婆なお姉ちゃんにつられて妹や弟まで雛段裏の遊びに余念がない。舞台裏にこそ面白いものがあることを子どもながらに知っているのだろう。
春雪や色を尽くして鏡花本 中岡毅雄[藍生]
「俳壇」2016年5月号
泉鏡花は博文館の編集部員として樋口一葉の本の編集にあたったことがあるという。作家として名を立てる前に本づくりの目を養っていたと思える。そして鏡花の著作は美しい装丁がされ鏡花本といえば先ずその美しさで天下一品である。春雪の降る一日、作者は美しい鏡花の本を眼前にして恍惚境に浸っている。
馬鈴薯植う赤黄紫橙の 小滝徹矢[春月]
「俳壇」2016年5月号
ジャガイモは男爵とかメイクイーンとか何種類かの名前を知っているだけである。作者はジャガイモを植える現場を見てその色が赤黄紫橙に及んでいたことに驚きを覚えて一句が成った。具体的にこれらの色を提示したことで私たちは日本以外の産地を思うことが出来るのである。
井戸を汲むたびに濃くなる朧かな 黛執[春野]
「ウエップ俳句通信」91号
不思議な句だ。井戸から水を汲むたびごとに朧が濃くなると言っている。現実は何回か水を汲むたびに夕暮れが進み朧も濃く見えるということかもしれない。しかしポンプ井戸なら水を汲むとき軋む音が朧を濃くしたり、釣瓶井戸なら井戸の中から朧が湧き上がってくるように思える不思議な作品になった。
ナプキンの蝶崩しけり日脚伸ぶ 加藤耕子[耕]
「ウエップ俳句通信」91号
宴席のテーブルに準備されている蝶型に折られたナプキンをほどいて、さあ楽しい宴がはじまるぞと思う期待感に溢れた句。ナプキンの折り方は様々あるというが普段は気にも留めないことだった。ナプキンの蝶をほどいて宙に舞わしたあとの宴は時の経つのを惜しむほどの楽しいものだったことだろう。作者の濃やかな感覚に脱帽。
雪雲の芯むらさきに西行忌 渡邊千枝子[馬醉木]
「ウエップ俳句通信」91号
西行は建久元年(1190年)2月16日没。享年73。「願はくは花の下にて春死なん」と願ったが此のころの気象は不安定、桜が咲いたりあるいは雪が降ったりする。雪雲の芯が紫に見えたのも、紫衣の西行がそこに坐すかのように思えたのかもしれない。格調の高い西行忌の作品と感心した。
うつくしき貝を手種に人丸忌 三田きえ子[萌]
「萌」2016年5月号
飛鳥時代に活躍したとされる柿本人麻呂は万葉集に歌を残し現代の私達に未だに親しまれている。しかし謎の多い人でそれ故に気にかかるのであろう。3月18日が人丸忌と言われあれこれと案じているのであるが、作者の手に玩ばれているものは1個の美しい貝。流離の果てに今、この手の中にある貝の来し方に思いをいたしつつ人丸を偲びたいと作者は思っている.
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