鑑賞「現代の俳句」(107) 蟇目良雨
菊炭の熾こしてありぬ文化の日 鈴木しげを〔鶴〕
「鶴」2017年2月号
「菊炭友の会」の言葉を借用させていただくと「黒炭のうち、クヌギを炭材としたものは、切り口に菊の花のように放射状に美しい割れ目があり、「菊炭」と呼ばれ、黒炭のなかでも最高級の炭とされている。―中略―菊炭のうちでも、大阪府池田市を集散地として全国的に有名になったのが池田炭であり、ブランド化した。池田炭は火持ちが良く、火力も強い、煙が出ない、火花が飛ばない、ほのかな馥郁たる香りなどで、古くから諸国第一の炭として名声を博し、今も茶道では、無くてはならぬ炭となっている。」から掲句の光 景は茶会の席と想像される。
茶の香りと菊炭から発せられるほのかな香に包まれた贅沢な文化の日の一コマである。
朴落葉踏む黄昏の音重ね 佐怒賀直美〔橘〕
「橘」2017年3月号
大きさと硬さを持つ朴の葉は落葉になると確かな音を立てる。今、朴落葉を踏んで盛んに音を立てているのだが、そこに異質な音を感じた。それが黄昏の音である。単に夕暮れの音でなく「たそがれ時の音」なのである。それは作者の人生のたそがれ時の音に違いない。
歴代会長展
眞筆の示す気骨や冬木立 加藤耕子〔耕〕
「耕」2017年2月号
昨冬、俳句文学館において俳人協会歴代会長展が開かれた。中村草田男、水原秋櫻子、大野林火、安住敦、沢木欣一、松崎鉄之介、鷹羽狩行ら歴代会長の真筆、文具、句帖などが一堂に展示され親しさを感じた方も多かったことだろう。棚山主宰が理事長として企画実行したものであり、余計なことながら、私の所蔵する「欣一・綾子夫婦並び書き」の色紙も展示された。
作者はこの展覧会を見て歴代会長の真筆の奥に籠められた「気骨」を見て取ったのである。それはあたかも冬木が見せる生の気骨のようであったに違いない。
おしまひはかろきがよろし古暦松尾隆信〔松の花〕
「松の花」2017年3月号
古暦の終の一枚になったものは、あちらこちら傷つきあたかも敗軍の将のようにみすぼらしく見えるが、そのみすぼらしい古暦に作者はエールを送っている。何でも「最後はかろきがいいのだよ」と。
人生の仕舞い方に色々あるが、近年は断捨離という言葉に代表される仕舞い方がある。どんどん物を捨てて終末に備えようというものだ。もしかしたら作者も身辺を軽くして終末に備えたい気持ちを持ち、その気持ちが一句に乗り移ったと考えても不思議ではない。
冬ざれの辻で別れてよりひとり 関成美〔多磨〕
「多磨」2017年3月号
十七音で言いたいことを言い切るやりかたもあるが、芭蕉は「いひおほせて何か有る」と釘を刺している。全てを言い切ったら読み手に考えるきっかけを与えられないではないかということである。俳句は俳諧の内の発句のことだと子規は定義したが、その結果、ゆるく考えて次の人が想像を膨らます可能性が無くなってしまい俳句が面白くなくなったとも言われている。
掲句、「別れてより一人」としか言っていないが、後を読者が自由に考えて脇を付ける気持ちにしてくれて豊かな時間を過ごすことが出来たと思う。
冬満月種も仕掛けもなく老ゆる成田清子〔門〕
「門」2017年3月号
種も仕掛けもなく老いると言われればその通りである。本当にどんどん容赦なく老いて行く。種も仕掛けもあれば老いを止めることが見つかるかもしれない。秦の始皇帝ではないが不老長寿の薬を探してみたくなるものである。
寒の月は中天高く上がって小さく見えるというイメージがあるが、上り始めはどれも大きく、更に寒中の空気に研ぎ澄まされているからまさに鏡のように思える。作者はこの鏡のような寒満月に対峙して老いを考えているのだと共鳴出来た一句。
愚直とはおろかにあらず寒海鼠 鈴木直充〔春燈〕
「春燈」2017年3月号
海鼠は動き回るものでないが、特に寒中の海鼠は水中に石塊のように沈んでいるばかりである。そんな海鼠を見て作者は己のことを海鼠から学んだのである。愚直に生きてきたがそれは愚かだったからではないと。
計算に明るい人がいとも易々と世の中の中枢を渡っている現代であるが、愚直に海鼠のように生きるのも一法であると作者は思っているに違いない。大愚良寛のように。
三番瀬暮れてむらさき千鳥鳴く下鉢清子〔繪硝子〕
「繪硝子」2017年3月号
資料によると「三番瀬は、浦安市・市川市・船橋市・習志野市の四市に三方を囲まれた約1800ha(東京ドーム約380個分)の干潟と浅海域で、もとは江戸川など利根川水系からの土砂が堆積してできた前浜干潟の一部でした」とある。その広さは半端なも
のではなく、渡り鳥の休息地になっている。冬の夕暮れ時は紫色に暮れてゆくという。幻想的である。千鳥の鳴き声が黄昏を急がせている。
輝いてファックス流れ年始 今瀬剛一〔対岸〕
「対岸」2017年3月号
新年に届いたファックスの受信用紙が輝いて流れているようだというのが句意。新年であるから字に埋まったファックス文でなく、白紙の多い「明けましておめでとう」というような簡単な文面だったのではないだろうか。輝いて見えるというところからそのように鑑賞してみた。この作者の手にかかるとファックスでも石ころでもたちどころに俳句になってしまう。生活の中のものはすべて俳句になることを私たちは学びたい。
寒風のあれが筑波嶺稀勢の里 小野さとし〔対岸〕
「対岸」2017年3月号
稀勢の里が平成29年春場所から19年ぶりの日本人横綱として奮闘している。この文章を書いている4日目まで全勝を続け、白鵬は休場したから横綱昇進後に優勝する可能性が出て来た。句意は「寒風に耐えてどっしりと座っているのが筑波山。あなたもそのようにどっしりと横綱相撲を取り続けなさいよ。稀勢の里さん」という所だろう。茨城の筑波山を毎日見上げる地元の竜ケ崎、牛久で子供時代を過ごしたので地元俳人にとって思い出の一句になったことだろう。
「寒風の」が風雪に耐えて来た稀勢の里に相応しい。
若冲の鶏が見得切る新暦 内海良太〔万象〕
「万象」2017年3月号
伊藤若冲の描く鶏は誰もが知るようになった。顔付と真赤な色彩と細密な描写が特徴だ。頸を少し曲げているのも特徴である。暦の表紙に印刷された鶏が見得を切るように見えるのも新年の目出度さによるのである。
簡単な罠にかかりし狸かな 亀井雉子男〔鶴〕
「鶴」2017年3月号
あまりに単純な作り方から実景を見ての句と確信した。罠の形は不明であるがとにかく狸が捕まった。狸は人をも化かす知恵ものであったはずだが易々と罠に捕まってしまったのは案外人?の良い狸であったに違いないと変な納得をしているのではないだろうか。
人間が一番業が深くずる賢いと言外に言いたそうである。
( 順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13 )
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