鑑賞「現代の俳句」(116) 蟇目良雨
アンデスの高原を駆り飛馬始 小滝徹矢[春月]
句集『赤道の国から』から
「ひめ始」のいわくはいろいろある。歳時記を見ると大方は「姫はじめ」で、正月初めて男女が交合することを詠ったものだ。そのほかに掲句のように馬の乗り初めや、蒸し米でなく釜で炊いた柔らかい飯(姫飯)を食べることがある。さて、掲句はアンデスの高原を実際に馬で駆け回ったことを一句にしたもの、句集の中にエクアドルの珍しい景物が描かれていて楽しい。
ビー玉をビー玉に当てカチと冬大崎紀夫[やぶれ傘]
句集『小判草』から
この句を懐かしむことの出来る年代というものがありそうだ。ビー玉はガラス玉のことで何故ビー玉というか分からないがとにかく地面に置かれた相手のビー玉に自分のビー玉をぶつけて、当ったり、陣地から外へ弾き飛ばすと勝になり自分のものになる。時間のたつのも忘れて遊んでいる子供達の姿が目に浮かぶ。下五の「カチと冬」が若々しい表現だ。女の子はおはじきを室内で楽しんだ。
白神の母なる木より黄落す小野寿子[薫風]
「薫風」2017年11月号
白神山地の植生は山毛欅を主にするが他にも杉や檜、楢などもあるそうだ。しかし「白神の母なる木」と言われれば山毛欅の木が想像される。そして黄落の始まりはこの母の木と呼ばれている山毛欅からだと断定している。白神山地の季節の移ろいがこの母なる木を中心に行われているのだろう。
闇汁を喰らひて師系同じうす上野一孝[梓]
句集『迅速』から
師系とは師が右向けといえば右を向く集団であろう。師の一挙手一投足を真似し、考え方を盗み取る。闇汁に入れられたものを何でも信じて食う行為に似ている。師系を論じるのに全くぴったりしたものを持ち出してきたと感心した。作者は森澄雄に師事し「杉」の編集長を長くやった人。同時作
一切の私語なし雪の永平寺
には写生を突き抜けた精神性が溢れている。
短調のあかるさに年惜しみけり津高里永子
「俳壇」2017年12月号
音楽のことはあまりわからぬが、短調より長調のほうが明るいと学んだ覚えがある。それをひっくり返す短調の音楽に出会ったのであろう。意外な遭遇に年を惜しむことが出来たと言っている作者は何にでも敏感なのであろう。
波郷忌やかくして遠き深大寺西嶋あさ子[瀝]
「瀝」2017年冬号
石田波郷の墓は深大寺にある。俳人は波郷と深大寺の取り合わせでこれまでに実に沢山の俳句を作ってきた。普通この組み合わせは現在なら「即き過ぎ」の一語で片づけられてしまう。しかしこの句はそうは行かない。それは何故だろう。中七の「かくして遠き」の内容の濃さにあると思う。単なる物理的距離の遠さと言うようなものでなく作者が波郷を思い続けて来た道程の遠さにあるのだろうと思った。同時作
一枚の重さの重み古暦
用済みになった一枚の古暦の持つ重要さに驚く様子が共感できる。
人工臍が呑み込む水音夜の秋奈良文夫[群星]
「群星」2017年12月号
人工臍とは次の作でわかるように胃瘻のことらしい。胃瘻は口と食道を通じて飲食できない人のために栄養の注入口としてお腹の表面から直に胃までに通した通路。栄養物、水、さらにはお酒まで胃瘻を通して流し込まれる。掲句は夜の秋に渇きを覚えたために胃瘻から水を注射器で流し込んだ時に発した水音を一句にしたもの。本来なら避けたかった手術法だが作者にとっては止むに止まれぬ決断だったようだ。
仕方なく胃瘻選びぬ大夕焼
しかし、あっけらかんと自分を観察し句にする執念は子規に似ている。益々のご健吟を祈ります。
芭蕉忌の伊賀は狭霧に夜明けたり宮田正和[山繭]
「山繭」2017年12月号
芭蕉忌は陰暦10月12日である。陽暦なら12月に入っている頃だ。したがって芭蕉忌と現代の季節感には乖離があっても仕方がないところだ。掲句は芭蕉の故郷での光景であるだけに「狭霧に夜明けたり」の措辞がいかにも芭蕉忌に似つかわしいと思える。
寒灯のこのいとしさよ昭和果つ安立公彦[春燈]
句集『早春』より
昭和の果てる時の句であるから随分昔のように思われるが、平成もあと一年余りで終ることが決まった昨今、掲句は新しさをもって我々に訴えかけてくるようだ。昭和64年1月7日昭和天皇崩御。その前後は自粛ムードでネオンの消灯やテレビ番組の馬鹿笑いも自粛された。寒灯でもそのわずかな明るさを欲した気持ちが蘇ってくる。
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