鑑賞「現代の俳句」 (122)                     蟇目良雨

 

粽解く紐の青さも他郷かな 藤本美和子[泉]
「泉」2018年6月号
 楚の屈原の故事に因んだ粽であるが、中国が嘗て支配した国々に多種多様の粽が散在している。蒸しあげて笹の葉でくるむので日持ちがするのが特徴。
 日本各地にもそれぞれ独自の粽があるのは風土の違いがそのまま出ているから。粽を剝いて紐の全貌を見たときに、何と青いのだろうと感心した一句だ。青々とした藺草を見て他郷の良さに感じ入っている。地産地消の土地柄なのだろう。

玉を解く芭蕉や詩心解き放つ藤埜まさ志[群星]
「群星」2018年6月号
 芭蕉の葉自身も、玉を解いて葉を広々とさせることで解放感があることと思う。人もまたこの解放感に出会ったときには心を開くことであろう。そして詩心も自ずから解放されるのである。同時作〈鐘塔は日時計の軸鳥帰る まさ志〉も鐘塔を日時計に喩えて大柄な句になった。帰る鳥によき目印になることだろう。

白牡丹内へ内へと紅を足し田島和生[雉]
「雉」2018年6月号
 この句は〈白牡丹といふといへども紅ほのか 虚子〉を下敷きにしているが、虚子句は紅がどこに現れているのかに言及していない。掲句は白牡丹の内側へ内側へ紅が深く滲むさまを現している。より具体的な写生が効いている句と言える。この句の場合も白を「はく」と読み紅を「こう」と読みたい。

森つつむひかり乱して鳥の恋西宮 舞[狩]
「俳句」2018年5月号
 森が発する霊気が森を取り囲む光に変じているのだろう、森の内部は鳥の恋で賑やかである。激しい恋が続き森は変容しついに光を乱したように見えたと言うのが句意。鳥の恋の激しさが想像でき愉しい句になった。

いちにちの余熱のごとき白椿 雨宮きぬよ[枻kai]
「枻」2018年6月号
 色々のことがあった一日と想像できる。暮れて白椿がまだ見えている初夜の頃か。今日一日の出来事を象徴するように白椿が夜目にはっきり見える。作者はその白椿と語り合っている図。白椿の白は尉を連想させて一句の中で確かな位置を占めている。

鳥風が吹き抜けにける新居かな辻恵美子[栴檀・山繭・晨]
「俳壇」2018年6月号
  鳥風は「とりかぜ」と読む場合と「ちょうふう」と読む場合で季節が違うことを知った。掲句は「とりかぜ」と読み「鳥雲に入る」「鳥帰る」ときの風を意味し春の季語になる。「鳥風(ちょうふう)」は鳥渡る頃吹く風で秋風のこと。
 新居に移って気持ちがいいのだが鳥も帰ってしまったので、これからを気分新たにやって行こうとする一寸した覚悟めいたものを感じたに違いない。

鶴引きぬ風のかたちに舞ひ翔(た)ちて鈴木貞雄[若葉]
「俳句」2018年6月号
 ハルピンの付近に鶴が夏の間暮らす場所があることを嘗て旅をして知った。日本の鶴は北方を目指して帰ってゆくのだが、飛立つときに「風のかたち」を取って舞い翔ったというのが句意。列の先頭を飛ぶベテランの鶴は風の動きをよく知り無駄なく効率よく列を引率してゆく。「風のかたち」を知ることは生き抜くことに繫がることを鶴は知っている。

鳥雲に山しなやかにならびゐて 伊藤敬子[笹]
「俳句」2018年6月号
 鳥帰る頃の山なみの様子を表現。山も鳥も冬の厳しさを耐えてようやく春を迎えた。長旅につく鳥を、しなやかに並んで山々が送っている図になっている。「しなやかに」立つ山々から体を揺すってまで惜別を惜しむ様子が汲み取れる。やさしいのは風土の山々だけではない。作者の心も優しいからこう見えたのである。

太陽の黒点燕放ちけり 仙田洋子[天為]
「俳句」2018年6月号
  太陽の黒点から燕がやってきたと思わせて独自性がある。近年は黒点活動が少なく、この結果地球は寒冷に向かうという説もある。太陽の黒点を観察するのに燕を使っているような面白さがある。一方、地球の温暖化も懸念されている。どうなるのだろうか。平成も終わるころには何かがわかるのだろうか。

風鈴や芯まで眠る赤ん坊柴田佐知子[空]
「俳句」2018年6月号
 熟睡を「芯まで眠る」と表現したところが写生的である。熟睡は抽象的な表現であり、さらに突っ込んで芯まで眠ると表現すれば、赤ん坊ながら棒のように眠っている様子が目に浮かぶ。

万緑や並木のはてに一円光 檜山哲彦[りいの]
「俳句」2018年6月号
  満目万緑の中に並木道があり、その出口に円光が見えると言うのが句意か。阿佐谷や神楽坂の欅並木を思いだしたがどうだろうか。

 

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