鑑賞「現代の俳句」 (134)                     蟇目良雨

 

へぎ蕎麦の波さみどりに雪解風嶋田麻紀[麻]
「麻」2019年5月号
 新潟県小千谷地方の名物へぎ蕎麦の「へぎ」と言う折敷の器に波の形をして盛られたゆで蕎麦の様子を一句にしたもの。さみどり色はそば粉のつなぎにふ海苔を用いたから。この地方ではつなぎ用の小麦を作らないのでふのりを代用したのだという。雪解風に波うつへぎ蕎麦の風情がたまらない。

令和元年五月五日の鯉のぼり大庭星樹[らんぶる]
「らんぶる」2019年5月号
 年号が代わるに際しての多くの俳句が詠まれたと思うが、この句の単純明快さは捨てがたい。令和元年になって初めての月が5月。もっと言えば令和は5月1日から始まった。この句が5月1日を詠むつもりなら相当苦戦しただろう。5月5日の端午の節句の鯉のぼりを詠んだことで期せずして佳句となった。5月5日と鯉のぼりでは季重なりなどと野暮なことを言うのは止めよう。ゴ音とカ音の繰り返しが心地よいリズムを生んでいる。

たんぽぽの絮吹く口をすぼめては関成美[多磨]
「多磨」2019年6月号
 タンポポの絮が飛び頃の円球になると誰もが吹いてみたくなる、まるで自分を占うかのように。絮を吹くときはだれもが口をすぼめて吹いている。読者の視線はその吹く人の口元に当てられる。女の子かな、赤ちゃんかな、妙齢のご婦人かな、老人かなと次々に想像を膨らませる。このように読む人に何か考えさせる力が俳句にはあるはず。一句だけで世界を閉じてしまっては面白い俳句と言えない。この句には単純ながらその力がある。

三鬼忌の項目ありし歯科辞典宮田 勝[萌]
「萌」2019年6月号
 新興俳句の暴れん坊、西東三鬼は歯科医でもあった。そのために歯科辞典に三鬼忌の項目があっても不思議ではないと気づかされるが、普通、辞典に掲載される人はその分野の学問で大いなる功績をあげた人だろう。そのあたりがちょっと想像しかねるのでその記述内容を知ってみたくなる好奇心をくすぐる句。

πは特殊切つても上げてもなほおぼろ片桐てい女[春燈]
「春」2019年6月号
 π(パイ)は円周率のこと。3に続く小数点以下を何桁まで暗記できるか競ったものだ。それが最近の教育では3と断定してもよいというニュースを聞いたことがある。作者はこれに反応したのだろうか、3でもいいし3.141592653589と詳述してもいいなんて、まったく朧に包まれたままねと楽しんでいる。

蝶々の飛び交ふ我も出掛けねば中坪達哉[辛夷]
「辛夷」2019年6月号
 書斎で寛いで庭でも眺めている光景だろうか。今日は蝶々がしきりに飛び交っている上天気だ。外に出かけて大いに英気を養おうよと自分に言い聞かせている。こんな普段着の俳句も読むと気持ちがいいもの。

髪洗ふ最終便の発つころか浅井民子[帆]
「帆」2019年6月号
 さっきまで会っていた知人が帰ってからしばらくして髪を洗っていると、知人の乗る最終便の発つ時間に近づいたと鑑賞したら、単に時間の経過を詠った句になってしまうが、作者の複雑な感情を読み手が膨らませればよい。次に会えるのは何時になるのかしら、もう会えないのかしら、さっきは大切なひと言を言えなかった、ああ最終便の出航の銅鑼が鳴ってしまったなどと、これは私の妄想に近い鑑賞。ごめん下さい。

 

懸垂の〇・五回初つばめ菅野孝夫[野火]
「野火」2019年6月号
 もう10年も前になるPM2.5なる言葉がはやった。中国大陸から飛んでくる汚染物質の粒が細かすぎるので普通のマスクでは防げないと大騒ぎをした。掲句がPM0.5と言ったら大変なことになるが0.5は自分で出来た懸垂の回数のこと。懸垂の0.5回とは鉄棒にぶら下がっただけのことだと思うと、急に哀れみが湧いてくる。気持だけの若さを呟く作者。

コルセットゆるく五月の空行かな檜山哲彦[りいの]
「りいの」2019年6月号
 一読したときは理解に苦しんだが「空行かな」を「そらゆかな」と読んで面白い句だと感じた。作者が3月の大学退官記念講演の時から体に不調がありそうだと見ていた。内臓疾患だと大変だと考えていたのだが、腰骨の圧搾骨折でその後治療に専念した一こまが掲句である。体全体を吊り具で支えて地に足が着くか着かない状態の歩行訓練と見れば空を行くような遊び心が伝わってくる。

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