鑑賞「現代の俳句」 (137)                     蟇目良雨

 

梅雨寒や旧知に会ふも通夜の席多田英治[百花]

「百花」令和元年5月号
 残念ながら我々も同様。年賀状には「今年こそ会おう」と書くが中々会えないのが現実だ。旧知に会うことが出来るのは通夜の席が多くなったことを嘆くのに梅雨寒は最適の季語。

十薬や老人音もなく住みて今福心太[鶴]

「鶴」2019年8号
 多分私も老人の仲間だと思うが、振りかえって見て、どんな音を立てながら毎日を過ごしているのだろうか興味を持った。車の運転、音楽鑑賞、料理の煮炊きなど案外浮世の騒音を立てながら生きている。芭蕉の頃の生活なら掲句に近いかもしれぬ。「音もなく」がストイックな生活を思わせ十薬の取り合わせが秀逸である。

空蟬やいつまで生きてゐるのやら溝口 直[少年]

「少年」2019年7月号
 空蟬は蟬の抜け殻。蟬の幼虫の形をそのまま残しているのでその精巧な形にほとほと感心させられてしまう。そして何より人を惹きつけるのは「空蟬」という名前。蟬の殻とは中国でも西洋でもいうが「うつせみ」というのは日本だけ。「現人(うつおしみ)」を本意として空蟬の字を充てたので空蟬を見て自ずから人間臭い思いがしてくる。壊れそうな空蟬を眼前にして我が身の生の行く末を案じている呟きが身に沁みる。

辛うじて生きてゐるなり不死男の忌三田きえ子[萌]

「萌」2019年8月号
 忌日の句を鑑賞するときは作者との関係が問題にされる。氏は秋元不死男、上田五千石、本宮鼎三を師系としている。初学の10年近くを「氷海」の不死男に学んだ。不死男が亡くなってから40年も経ち作者は亡き師に向けて俳句道を辛うじて続けておりますと報告しているように思える。不死男の知らない年齢を10歳も余分に生きてきた作者の到達した境地がここにある。

この世より仰ぐかの世の花火かな西嶋あさ子[瀝]

「瀝」2019年秋号
 花火大会の打ち上げ花火の連打に私達は恍惚境に誘われる。夢か現か。この世のものか、彼の世のものか。年齢を重ねることによって生きながら彼の世の花火を見ることが出来ることをこの句は教えてくれる。

白南風や無線の声の能登訛中川雅雪[風港]

「風港」2019年7月号
 掲句からどんな場面が想像できるだろうか。無線交信するタクシーの中、漁船の中、または航空管制の声、パトカーや救急車や工事現場での無線でのやり取りなどいろいろ考えられる。白南風の明るい季節感から能登の漁船の無線交信の場面が相応しいと思った。

一刷けの北斎ブルー江戸風鈴藤田直子[秋麗]

「秋麗」2019年9月号
 吹きガラスで作られた風鈴を江戸風鈴と呼ぶ。内側を絵の具で彩色されて見た目にも美しい風鈴に仕上がる。彩色の時に北斎ブルーをさっと一刷け塗った風鈴の美しさをいかにも江戸風鈴らしいと作者は感じている。独特の藍色を北斎ブルーとも広重ブルーともいう。印象鮮明な一句になった。

林檎来て「信濃毎日」読みつくす伊藤文明[秋麗]

「秋麗」2019年9月号
 地方から荷物が届き、詰め物に地方紙があったという句は多くあるのだが、この句は実にバランスよく描かれている。林檎、信濃毎日紙だけでは即き過ぎになる嫌いがあるが、この句を救っているのは「読みつくす」という行為。長野を故郷とする人か相当強い縁のある人だろう。懐かしさのあまり詰め物の新聞を隅から隅まで読みつくした光景はほのぼのとしている。

アンシャンテ外海は初夏の空と海和田順子[繪硝子]

「繪硝子」2019年9月号
 長崎県の外海(そ と め)にある遠藤周作文学館「思索空間」をアンシャンテ(仏語で初めましての意)というそうだ。空と海を々と見渡せる遠藤周作文学館を訪れての挨拶句だが、上五のアンシャンテが文字通り「初めまして」と語りかける仕掛けは実にうまいと感じた。明るさに満ちた周作への挨拶句でもある。

蠅取リボン吊しカフカの忌を修す須藤昌義[枻]

「枻」2019年7/9月号
 カフカの忌を修すとは具体的にどのようなことをするか不明だが、カフカの死んだ6月3日にカフカの書籍を取り出して読み直すことでもよいのではないか。吊るされた蠅取リボンが風にゆらゆら揺れて、蠅の翅音まで聞こえてくる光景によって、カフカの過ごしたチェコのプラハにも蠅が飛び回っていたという錯覚が楽しめる。伸びた蠅取リボンの螺旋の形状もカフカの文学に関係しているような気さえしてきたので不思議だ。カフカと蠅取リボンの突飛な取り合わせが成功していると思わざるを得ない。

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