鑑賞「現代の俳句」 (146)                     蟇目良雨

鮎舟の新艘に酒注ぎけり大高松竹[南風・けごん]

句集『牛の糶』より
 句意は、鮎漁の舟の新造を祝って酒を注いだという。筆者は鮎で有名な栃木県那珂川の川沿いに住む方だから、那珂川の鮎漁には舟が欠かせないらしい。舟を用いた鮎漁には刺し網が用いられ、川の深みまで網を張るために舟がどうしても必要になってくる。那珂川に多い鮎簗は観光用ものであって実際の漁は舟を用いる刺し網漁であることがこの句から想像できるのである。盤水先生のご友人の鮎簗にご一緒したことを思いだした。

草々に吹くともなしにあゆの風渡辺純枝[濃美]

「俳句通信」116号
 この句の「あゆの風」は「鮎の風」とも書く東風で、かつての越の国の言葉とされる。また、「あいの風」とも言い日本海を岸から沖に向けて吹く風であり「奥の細道・曾良随行日記」の日本海側の記述によく出てくる言葉でもある。「アイ吹く、舟に乗る」などと。掲句は舟の帆を吹く強い風が地表の草ぐさにも及んでいることを詠っている。日本海の海上交通にとっては無くてはならない風なのである。

晩年は風のごとくに古茶新茶岩岡中正[阿蘇]

「俳句通信」116号
 晩年は風のごとくに疾く過ぎ去ってゆくことを嘆かれているのである。私たちにとっても実感できる内容である。茶を飲んで静かに過去と未来に思いを巡らすのだが、それにしても月日は光陰矢のごとく過ぎ去って行くものだと誰しもが思うことであろう。

曲水へ十二単の裳裾曳き岸原清行[青嶺]

「俳壇」2020年7月号
 曲水の宴は353年(永和9年)に王羲之が開いたものがよく知られている。中国杭州市郊外会稽山の麓の蘭亭で行われその時の詩集の序文が「蘭亭序」である。
 そのしきたりが日本に伝わり王朝文化に彩を添えた。中国では現在行われておらず、日本の大宰府や京都の神社などで今も古式ゆかしく行われ伝統を守っている。十二単姿の女性も参加するから掲句が出来た。芝生の庭に水路が設けられて実に楽しそうである。嘗て蘭亭の跡を訪ね曲水の場所も見たがコンクリート製の水路があるばかりで風情はゼロであった。

小綬鶏に呼ばれ外出自粛の身柏原眠雨[きたごち]

「俳壇」2020年7月号
 コロナ騒ぎに出来た句と承知するがそれは「外出自粛」の言葉から想像できる。三密を避けるために「不要不急の外出自粛」が要請されて何とか感染拡大を免れた日本であった。しかし、春の陽気に小綬鶏が「チョットコイ」と鳴いて呼ばれればそれに応えて屋外に出たくなるものである。小綬鶏の「チョットコイ」という言い方を利用した遊びの句。

地虫出づはて仕事なく句座もなし鈴木しげを[鶴]

閉関か蟄居か春を愉しまず

「鶴」2020年6月号
 この句もコロナ関連句だ。コロナと直叙しなくても十分句意を汲むことが出来る。一句目、地虫が出てくる頃なのに世の中は「仕事も無く」「句座も無くなってしまった」。二句目、外出自粛を「閉関か蟄居か」知らないがこの春は楽しむことが出来ないと嘆く。閉関と書いて芭蕉の「閉関の説」を思い出させる工夫が仕込まれている。

 鍵和田秞子先生への感謝の意を込めて

よくとほる師のこゑ枇杷は熟れ頃に黒澤麻生子[未来図・秋麗]

それぞれの未来図に描く虹の橋

「俳壇」2020年7月号
 鍵和田秞子先生は教師をされていたことによるのだろう、講義の声が隅々まで行き亘るほど声が透っていた。先生のご指導のお陰で枇杷も熟れごろになり収穫の時を迎えましたと謝しているのが前の句。後の句は「未来図」の会員たちはそれぞれ虹の橋を思い思いに描くことが出来て巣立ってゆきますよと謝している。十分な指導をされた後、残念なことに6月11日に鍵和田秞子先生は亡くなられた。享年88。合掌

たんぽぽの点けつぱなしの黄なりけり市堀玉宗

「俳句」2020年6月号
 たんぽぽの花を電球に例えている。点けつぱなしでいつまでも黄色く光っていますね。夜になってもなおはっきりと黄色が光っていますよとも言っているようだ。

父の日の音といふ音濡れてゐる仲村青彦

句集『夏の眸』より
 父の日は6月第3日曜日に設定されている。角川俳句歳時記に、「母の日ほどには定着していない」と書かれているが、梅雨の最中の行事なのでぱっといかないことに理由の一端がありそうだ。掲句は梅雨の背景を認識して父の日の本質に近づいている一句と思う。父の日は明るく楽しむというよりどこかに湿り気があって然るべきである。 

(順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13)