鑑賞「現代の俳句」 (15)                  沖山志朴

梅東風や舟屋へ寄せる波頭蟇目良雨〔春耕〕内子座の奈落の軋み寒もどり柚口満〔春耕〕
卒業子津波の浜に立ち尽くす堀井より子〔春耕〕
余寒なほ碁石の音のはね返る児玉真知子〔春耕〕

[俳壇 2020年 4月号より]
 「お題は春の四字熟語」というユニークな企画での二つの結社による競詠。与えられた題は、「春寒料峭」。ただし、これら春寒、料峭の季語は使用しないで、春になってもまだ残る寒さを表現する、というあまり前例のない試みである。
 蟇目主宰の句は、梅東風と波頭の白の視覚との取合せ、柚口氏は、舞台の下の奈落の装置の軋みという聴覚との取合せで、堀井氏は津波の浜に立ち尽くす卒業子の悲しみを、児玉氏は、余寒と聴覚の碁石の跳ね返る音とで、それぞれ春先の寒さのニュアンスを巧みに、また繊細に表現している。
 ちなみに五人目は、筆者志朴の句。また、𠮷原文音主宰の「太陽」の五氏が同じ四字熟語のテーマで一句ずつ挑戦しているのも、これまたこの企画の面白いところ。

霊気張る春立つ今日の日の光阿部誠文〔野火〕

[俳句 2022年 4月号より]
 若い頃は詩人として活躍し、その後は俳人としてはもちろんのこと、俳句評論においても俳人協会評論賞を受賞するなど、優れた実績を残してきた氏の「春立つころ」と題する一連の句。 
 四季の内で、春ほどその到来を待たれる季節はない。ましてやことのほか寒さの厳しかった年は、高齢者にとっては、尚更のこと。中に〈来る年は八十の坂雪が降る〉の句もある。掲句は、80歳を迎えようとする今、立春の光に、昨日までとは明らかに違う霊気のような神々しいものが感じられる、と命あることへの深い感慨を表している。 

蓮枯れて己の水に安らげる今野志津子〔パピルス〕

[俳句界 2022年 4月号より]
 これまで、矢尽き刀折れのように、無残な光景として扱われがちであった枯蓮の句を、新たな感覚で捉え直した句である。
 大きな葉を広げ、見事な花を咲かせ、立派な地下茎を育てた蓮。今は流れの止まった蓮畑のわずかな水に、枯れ果てた影を静かに映し、その充足感に浸っている。下五の「安らげる」には、人生の終盤を迎えた人が、過去を振り返りながら、静かに感慨にふけり、その余韻に浸っているような精神的なゆとりすら感じられる。

言葉とは灯し灯され冬銀河上田日差子〔ランブル〕

[ランブル 2022年 4月号より]
 情報化などにより、社会が高度化すればするほど、人の内面世界も複雑化、多様化する。それと同時に、人と人を結びつける言葉の役割も一層重要になる。しかし、人を傷つけたり、攻撃したりするために安易に言葉が用いられる現状も少なからず見受けられる。
 冬の夜空に星が美しく輝き合う天の川のように、言葉というものは、人と人とが励まし合い、温め合い、輝き合うための手段として存在するものですよ。言霊という語があるように、本来言葉には、魂が宿っているのです。もう少し、言葉の本質について考え合い、言葉を温もりのあるものとして大事に遣いたいものですね、と現代社会の大きな課題の解決の必要性を、さりげなく突きつけている。

吹雪止み白樺林大月夜岡田日郎〔山火〕

[山火 2022年 4月号より]
 優れた山岳俳句を数多く残された岡田日郎氏。寒さの厳しい今年の1月2日に、89歳で他界された。掲句、まるで自らの死を予感したかのような幻想的な光景で、思わずハッとさせられる。
 猛吹雪が止んだ後の別世界を描いた写生句。「吹雪止み」により、つい先ほどまで、テントの中でひたすら吹雪がやむのを待ち続けていた作者の心理が想像できる。やがて訪れた白銀の静寂の世界。その白樺林の上に皓皓と輝く冬の月。その別世界に作者の命が静かに向き合う。聴覚と視覚の融合が実に見事である。

老若の先を急がず花の土手小路智壽子〔ひいらぎ〕

[ひいらぎ 2022年 4月号より]
 桃源郷を思わせるような、平和な世界の象徴のような句である。日夜、激しい戦争が繰り広げられていることを、つい忘れてしまいそうである。
 「老若の先を急がず」の措辞が、何とも心地よく響く。長堤の桜の名所は全国至る所にあるが、郊外の静かな景色を想像する。人は、それぞれいろいろな思いを胸にしながら、桜の下をゆっくりと行き交う。

(順不同)