鑑賞「現代の俳句」 (16) 沖山志朴
母の日の母を畑に訪ねをり名村早智子〔玉梓〕
[俳句四季 2022年 5月号より]
俳句は十七音という短い詩であるだけに、一語一音が大きな重みをもつ。たとえば、掲句を
母の日の母を実家に訪ねをり
と「畑」を「実家」に変えたとする。すると、母の普段の生活ぶりや、母と子の関係性も見えなくなり、ごく平凡な句に終わってしまう。
掲句、母親は高齢ながら、きっとまだ元気で、耕作が大好きな働き者なのであろうという推測がつく。そして、良好な親子関係や、そんな母を誇りに思う娘の姿も見えてくる。たった一字でいろいろ想像の世界が広がってきて、句に人の関係性や明るさが生まれてくる。さりげなく詠んでいながら、余情あふれる母の日の秀句に仕上がった。
白鳥帰る縷々凜々と鬨の声依田善朗〔磁石〕
[俳句界 2022年 5月号より]
冬の渡り鳥の中でも、優雅で雄々しく、多くの人々に愛される存在感の大きい白鳥。その白鳥との惜別の句であり、白鳥へのエールでもある。鳥が好きな方なのであろう。自選三十句の中に、なんと鳥の句が十句も含まれている。
工夫された表現がまず目に留まる。ゆったりした語調の上五、それから中七、下五のリズム感のある漢語調の力強い調べへと畳み込んでゆく。その対照が見事であり、かつ躍動感を生む。澄んだ空、その大空に列をなして飛翔する白鳥の姿。励まし合うように互いに大きな声を出し合い、長い旅路へとつく。鳥を知り尽くし、鳥をこよなく愛する人の句である。
膨らめる余地を豊かに袋掛石井いさお〔煌星〕
[俳句 2022年 5月号より]
昨今の混沌とした世の状況下、このような生産的で、前向きで、明るい句に出会うと、自ずと心が和んでくるのを覚える。膨らめる、余地、豊か、どれもポジティブな言葉。その言葉の配合がまた新しい世界を生みだす。
「膨らめる」は下一段活用の「膨らめる」の連体形。「膨れることができるようにする」の意味。その主語は省略されているが、当然、梨や桃や葡萄のような果物である。大きくなあれ、おいしくなあれ、という期待が十分に込められた豊作祈願の句なのであるが、子育ての心構えを詠った句としても、十分読み取ることができる広がりを持った句である。
水平に垂直に虻唸りをり山口昭男〔秋草〕
[俳壇 2022年 5月号より]
虻は種類が多いが、掲句の虻は、花の蜜や花粉を求めて飛ぶ、ハナアブであろう。これまでの虻の句の多くは、大きな羽音にその焦点を絞って作られてきた印象がある。しかし、掲句は虻の「水平に垂直に」という不思議な動きを主材として詠み、補助的な素材としての聴覚の「唸りをり」と見事に融合させている。
ホバリングのように、空中の一点に静止していたかと思うと、急に水平移動をしてみたり、上下への素早い動きを繰り返したりする虻。それを作者はファーブルのような鋭い目つきで興味深く観察し、的確な言葉で表現している。静寂の世界の中に響く羽音、作者の心の中に悠久の時間が流れる。
哀悼 棚山波朗さん
春めきて能登へ汝が魂還りしか田島和生〔雉〕
[山火 2022年 4月号より]
作者の田島和生さんは、棚山前主宰と同じ石川県のご出身。年齢的にも近いだけではなく、沢木欣一氏の「風」の会員として、長い間一緒に俳句活動もしておられた。掲句は、「能登はやさし海の底まで小春凪」を踏まえていよう。
棚山さん、俳句を通じての長い付き合いだったね。あなたは、能登が大好きで、多くの能登の句を残したが、今頃は、あなたの魂は、春の兆しの見える能登に帰って、その海辺や山野を自由に動き回っていることでしょう、という。心に沁みる句である。
墨色の富士を押し出し寒夕焼川上良子〔花野〕
[花野 2022年 7号(季刊)]
中七の「押し出し」の措辞がじつに見事である。富士山のシルエットを詠った句は、これまでに数多く見られるが、掲句はこの一語で出色の一句となった。
表現技法として、倒置法、比喩、体言止め、省略法などが用いられていて、作者の苦心の跡がうかがえる。とりわけ、「押し出し」の擬人法の効果が大きい。主語は、寒夕焼であるが、これにより迫りくる富士のシルエットがより鮮明に、かつ印象的になった。寒々とした冬の夕景に浮く富士が見事に描かれている。
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