鑑賞「現代の俳句」 (17)                  沖山志朴

夕餉の間ほたる乱舞のひとしきり
すこやかに七人家族ほたるの夜
みんな居た睦まじく居たほたるの夜
「いい晩だ」父のひと声ほたる舞ふ
黒田杏子〔藍生〕

[俳句 2022年 6月号より]
 「ほたる火の記憶」と題する特別作品五十句より。驚くべきことは、五十句すべてが、回想の蛍の句でまとめられていることである。さらに、その一句一句に作者の情感が実に見事に映し出されていて、質の高い一連の作に仕上がっている。取り上げた四句は、昭和26年の中学1年生の頃の喜連川での回想句である。
 戦後の貧しい時代、物も不足し、食べ物も十分には手に入らなかったであろう。しかし、そのような中でも、家族愛に満ちあふれた一家の暮らしは、精神的に満ち足りたものであったことを想像させる。その象徴としての蛍の光なのである。郷愁を沸き起こさせる読み応えのある五十句である。

無言てふ暑さ渦なす爆心地すずき巴里〔ろんど〕

[俳壇 2022年 6月号より]
 今年も広島・長崎の原爆の日がやってくる。戦争の悲惨さ、原子爆弾の恐ろしさは、何十年経っても人々の脳裏から消え去ることはない。
 爆心地の炎天下、人々は無言である。しかし、それは平和への強い願いの無言であり、戦争や原爆投下への抗議であり、心の底からの怒りであり、深い悲しみなのである。それが炎天下の熱気に煽られて、まさに渦巻いているという悲憤の句なのである。 

停戦は世界の祈り牡丹雪島村正〔宇宙〕

[俳句四季 2022年 5月号より]
 ロシアによるウクライナへの力による一方的な侵攻は、多くの人の命を奪い、大勢の人を不幸のどん底に突き落とし、どれだけ世界中の人々を深く悲しませていることか。いまだに、停戦への糸口は見えず、戦争は深みにはまるばかり。まさに「願い」ではなく、今や世界中の人々の「祈り」なのである。
 新型コロナウイルスの蔓延、地球環境の破壊と温暖化現象。今、地球は人と人とが醜い争いをしている場合ではない。まさに手を取り合って、深刻な危機的な状況を打開しなくてはならないのである。プーチンよ、ロシア国民よ、どうか一日でも早く目を覚ましてほしいというまさに世界中の人々の切実な祈りなのである。

片虹のせつせつと彩こぼしをり清水道子〔丹〕

[俳句界 2022年 6月号より]
 「せつせつ」は、「切々」、「屑屑」などの漢字表記の語が考えられるが、当てはめてみるにどうもしっくりこない。やはり、作者の造語であると考えるのが妥当であろう。これを、たちまち色褪せてゆく虹の様相を表現したオノマトペ、と解釈すると合点がゆく。そして、作者の一瞬の昂ぶりから覚めてゆく心情の変化も見事に伝わってくる。
 雨が上がった後の見事な虹、道行く人々は足を止めてしばし見入る。しかし、それも束の間。やがて虹は急ぐように欠けつつ小さくなってゆく。虹を仰いでいた人たちも一人去り、二人去りといなくなり、町はいつもの喧騒に包まれる。しかし、作者は、その場を離れがたく、一人その余韻を楽しむかのように崩れ行く虹を眺め続けている光景である。

あれほどを摘んで一口土筆和吉田千嘉子〔たかんな〕

[たかんな 2022年 6月号より]
 上五の「あれほど」の後に「の量」の語が省略されている。沢山摘んで袋に詰め、丁寧にはかまを取り除き、楽しみにして出来上がった和え物。いざ器に盛りつけてみるとほんのひと口ほどしかない、という。
 一読すると落胆の句のように思えるがそうではない。春先の大地が与えてくれる柔らかい恵みは、このように儚いものなのである。だからこそ尊いもの、と納得しながら季節の情趣を存分に楽しんでいる句である。

白萩や妻子自害の墓碑ばかり宮坂静生〔岳〕

[NHK俳句 2022年6月号より]
 前書きに「・・・軽井沢町大日向開拓地を訪ねる」とある。満州で戦禍に遭い、戦後浅間山麓に移住した人たちの墓である。また、墓碑には「満州より帰途、妻子足手まといとなりて、自害す」と記されているという。
 やむに已まれぬ事情があってのことであろうが、なんとも心を引き裂かれるようで切なくなる。自害した人たちは勿論のこと、生き延びて戻ってきた人たちも、戦後どれほど辛い日々を送ったことであろうか。悲惨な戦争の犠牲者たちを詠った名句である。

(順不同)