鑑賞「現代の俳句」 (22)                  沖山志朴

ひぐらしや錆びゆくものの家中に片山由美子〔香雨〕

[俳句四季 2022年 11月号より]
 「錆ぶ」には、金属が錆びつくという意味の他に、物が古くなり、その機能等が衰えるというもう一つ別の意味もある。
 年月を重ねるほどに、鋏や包丁などの日常使用している金属類が錆び、その機能は衰えてゆく。それだけではなく、アルバムの写真が、カーテンの模様が、絨毯が、色褪せて劣化してゆく。さらに、入居した当時は、新鮮で鋭敏であった人の感覚も、生活の積み重ねの中でマンネリ化してゆく。まさに、物とともに、人の意識の変化をも包含した「錆びゆく」なのであろう。
 蜩の哀愁を帯びた鳴き声に重ね合わせながら、古びゆく物や人の意識の変化を、繊細に表現した感覚の句であると鑑賞した。

しなやかに手話の弾みて聖五月中澤元子〔今〕

[俳句界 2022年 11月号より]
 1年のうちでいちばん生命力に溢れ、かつ麗しい五月。その躍動的な季節を背景に、若い人たちの手話での会話が弾む。何を話しているのかはわからないが、まるで、その一角だけがスポットライトを浴びているかのように明るい。
 中七の「手話の弾みて」が、若者たちの明るい未来への志向を象徴しているかのようである。とかく、暗い気持ちにさせられがちな昨今の社会状況を微塵も感じさせない明るさに励まされる。 

ややありて蜻蛉翅を沈めたり相子智恵〔澤〕

[俳壇 2022年 11月号より]
 蜻蛉は、気温が下がり、体温が低下してくると体力が落ちてくる。そのため、適当な止まり場所を見つけては日に当たり、体温を上げて体力を回復する。
 掲句の蜻蛉も、体力を回復するために、ほどよい枝先を見つけて止まったのであろう。そして、しばらく周囲を見渡し、安全であることを確認し、安心して翅を沈めた。「やれやれ、体が冷えて疲れたよ。しばらく休むとするか」、そんな蜻蛉のつぶやきが聞こえてきそうな「沈めたり」である。対象をよく観察している句。

砕かるるやうに山茶花散りにけり七種年男〔沖〕

[俳句界 2022年 11月号より]
 山茶花は、次々と花を咲かせる一方で、同時にたくさんの花を急ぐように散らせてゆく。その散り方も、ぽとりと落ちる椿とは違い、花びらがこぼれるようにぱらぱらと風情溢れる散り方をする。
 「砕かるるやうに」の比喩がその花びらのぱらぱらと散り落ちる風情を的確に表現していて、新鮮である。似たような措辞の句は多いが、たった一語を工夫することで、目の覚めるような新しい印象の句に生まれ変わることに感動を覚える。

踊りつつ踊る子を追ふ眼あり古賀雪江〔雪解〕

[俳句 2022年 11月号より]
 コロナの脅威は大きく世の中を変えてしまった。盆踊りもその一例。かつては、町のあちらこちらで賑やかに開催されていたもの。しかし、残念なことに、そんな光景も余り見られなくなってしまった。
 掲句、若い男女の恋を詠ったもの。男の子であろう、同じ踊りの輪の中の離れた場所にいる片思いの女の子が気になり、しきりに目で追う。どこか遠く懐かしいような素朴な若者の恋の光景である。リフレインや、下五の「眼あり」の焦点化により印象が鮮明になった。

盆帰省背中の子へとみんなの手谷岡健彦〔銀漢〕

[俳壇 2022年 11月号より]
 若い夫婦が、久しぶりに盆帰省をした。出会う村の人たちが、若夫婦との再会のあいさつを交わす。そして、いかにももの珍らしそうに背中の赤子を見やり、その頭をなでたり、指を握ったりしては賛辞を並べる。省略の中に、人の温みが十分に伝わってくる句である。
 しかし、同時に下五の「みんなの手」からは、高齢化に伴う地方の衰退という、現代の日本の社会の抱える大きな課題が垣間見えるようで、一抹の寂しさも禁じえない。

秋蟬の声の中なる禱りかな 松岡隆子〔栞〕

[栞 2022年 9月号より]
 ウクライナでの戦争が早く終わりますように、そして、日本の平和がいつまでも続きますように・・。終戦の日であろうか。禱りたいことは尽きない。
 8月の半ばともなると、夏の蟬に代わるように、蜩の鳴き声が次第に聞かれるようになる。この日も禱りの最中に突如沸き起こったかのような蜩の鳴き声。その哀切な鳴き声に誘われるかのように、禱りの心は一層深まってゆく。

(順不同)