鑑賞「現代の俳句」 (3)                    沖山志朴

野遊や子らの着替のひらづつみ橋本榮治

[枻 2021年4月号より]
 家族で野遊びに出かけた折の光景であろう。「ひらづつみ」(平包み)は風呂敷のこと。母親は、子供たちが野原で汚れながら目一杯遊ぶことを見越して、子供たちの着替えの入ったひらづつみ持参した。親が子供たちへ注ぐ愛情、その愛情のもとでのびのびと成長してゆく子供たちの姿がこの一語に見えてくる。
 今日ではほとんど使われない「ひらづつみ」の語。この古語ともなった一語が、一句の中で響き合い、家族的な温もり感を醸し出している。

白鳥の高さを揃へたる飛行中川雅雪

[風港 2021年4月号より]
 朝早く群れで湖などを飛び立った白鳥たちの多くは田圃へと向かい、落穂などを餌とする。その田圃へと向かう途中の群れの様相を捉えた句。白鳥をよく知り、こよなく愛し、その生態をよく知った人の句である。
 白鳥は、仲間の一羽が疲労などで脱落すると、複数の白鳥が一緒に地上に降り、回復を待つという。飛翔の高さが揃っているのも、空気の抵抗を少しでも減らし、より遠くまで群れが飛ぶための知恵なのであろう。厳しい大自然の中で生き抜く白鳥たちの逞しい知恵や助け合う姿がこの飛行にも隠されている。

寒鯉の思ひ出したるごとうごく二ノ宮一雄

[架け橋 2021年春季号より]
 池底に時折動く寒鯉の特徴を中七で巧みに捉えた一物仕立ての句。時折、わずかに動く鯉のその動きを、「思ひ出したるごと」と表現した。その熟達した表現を讃えたい。
 池の底の寒鯉を詠った句は、数えきれないほどたくさんある。しかし、言葉をまさぐり、捏ね、磨き上げる作業を通じて、このようにまた違った新鮮な句が誕生することに感銘を受ける。 

夕闇になんぞと聞けば猫の恋菅野孝夫

[野火 2021年4月号より]
 あまりに外が騒がしい。家人に、「何の騒ぎだい」と聞く。すると、すかさず「猫ですよ。さかりのついた」という投げやりな返事が返ってくる。
 口語の「なんぞ」の措辞に熟達した味を感じる。この一語により、簡潔、的確な表現になるとともに、リアリティーが生まれた。繊細な言語感覚に裏打ちされた含蓄のある句である。

夕東風や妻の手とりしかの日ふと朝妻力

[雲の峰 2021年4月号より]
 僚友誌から。「七回忌」と題する巻頭十七句の中の句。いつも明るく振る舞っておられる力主宰ではあるが、奥様をなくされてから6年が経過。この間の寂しさには、推測するに余りあるものがあろう。ましてや、コロナ禍のご時世。一人で家に籠ることも多い。しかし、そんな主宰を支えてくれたのが、残されたご家族であり、俳句の存在であり、俳句を通じての人との繫がりであろう。〈泊り支度して子らのくる遅日かな〉などの句も心を打つ。
 今際の時の記憶がふと甦ったのが掲句。故人はすでに意識が薄れた状態だったのであろう。応えのない手をしっかりと握り声を掛け続ける。暮れ方の東風が、今日のように一入肌身にしみる日。心に迫るものがある別れの句である。

やすけしや七草粥を吹き合うて屋内修一

[天穹 2021年4月号より]
 今年も七日粥を炊いて、お互いに健康で心穏やかに過ごせた幸を夫婦でひそかに喜び合うとともに、これからの安寧を願う。
 下五の「吹き合うて」になんとも心が和んでくる。こだわりを捨て、一日一日をありのままに生きる、「日々是好日」という言葉がふと頭の中を過ぎる。

立ちて座りて卒業をいたしけり岩田奎[群青]

[俳句 2021年4月号より]
 作者は、昨年21歳で角川俳句賞を受賞した若い方。式辞、来賓挨拶、答辞等々卒業生は何度も起立しては礼、そして着席を繰り返す。そんな厳粛な式への揶揄と安堵が込められた句。やれやれやっと終わったよといったところか。
 接続助詞の「て」の繰り返し、「いたしけり」の丁寧な言い回し。経験に基づく抒情句である。

(順不同)