日本酒のこと  (34)                     安 原 敬 裕

「日本酒の醸造の歴史」

  「日本酒のこと」について連載を重ねていくと、どこかでその歴史を語ることが要求されます。既に何度も説明してきましたが、日本酒とは「麴菌の作用で糖化した蒸米を、清酒酵母菌の力で発酵したアルコール飲料」のことです。わが国でもアルコール飲料の元祖はワインのように果実が自然に発酵したものであり、日本酒の祖先であるお米を使用したお酒が登場するのは、稲作文化が展開する縄文から弥生時代の頃と言われています。
 その最も原初的なものは「口嚙み酒」です。これは、口嚙みすることでお米のデンプンを唾液で糖化し、それを自然界に存在する酵母菌で発酵させたものであり、口嚙みは巫女等の女性の役目でした。その後は、渡来人による麴菌等の新しい醸造技術の導入とも相まって、お酒は祭事に欠かせないものとして定着し、時の政権の庇護を受けながら発展していきます。日本の三大酒神神社の一つである京都が総本山の「松尾神社」は出雲に参集する八百万の神々を饗応するお酒を造っていたとか、日本最古の神社である桜井市の「大神(おおみわ)神社」は大和朝廷に献上するお酒の醸造を司っていたと伝えられています。
 そして、奈良時代に入ると朝廷に「造酒司(みきのつかさ)」という専門の役所が置かれ、平安時代にはそれとは別に高野山等の大きな勢力を持つ寺院が酒造りに熱心に取り組み始めました。「僧坊酒」と呼ばれますが、当時の留学僧や渡来僧等のもたらした高度な技術を駆使したことにより、その醸すお酒の品質と生産量は一気に高まっていきます。ワインの発展はベネディクト派修道院等を抜きには語れませんが、日本においても同様に宗教勢力が大きな役割を果たしたのです。
 その酒造技術のエポックをなすものが、室町時代における奈良の「菩提山正暦寺(しょうりゃくじ)」の「菩提酛」で醸したお酒であり、これが現在の清酒の始まりと言われています。清酒とは、厳密には米・麴米・酵母菌・水で仕込んで発酵した醪(もろみ)を搾ったものです。実
は、それ以前のお米由来の酒は発酵した醪を搾らずに、「どぶろく」の状態で飲むのが一般的でした。搾ることにより透明なお酒、即ち清酒となるのです。それに加えて、乳酸菌を利用した酒母造りや三段階に分けての仕込み等の画期的な技術の進化が見られました。その正暦寺には、「日本清酒発祥之地」の石碑が立っています。
 室町時代以降には、日本酒文化が徐々に庶民階級にも普及し、それに伴い酒造りを生業とする酒蔵が登場します。そして、町人文化華やかなりし江戸時代には、伊丹や灘から江戸に運ばれる高品質の日本酒は「下り酒」と呼ばれ大変な人気を博しました。
 明治以降の日本酒の進化についてはこの欄で何度も触れているので省略しますが、実は先に述べた「菩提酛」で醸したお酒を令和の今に飲むことができるのです。奈良県内の酒蔵の有志が再現したものであり土産物屋等で購入できます。是非、お試しを。
温め酒双手に遠き父思ふ升本行洋