鑑賞「現代の俳句」 (35)                  沖山志朴

落葉踏む口を噤めばすむことも佐藤博美〔香雨〕

[俳句 2023年 12月号より]
 人が社会生活を営んでゆくうえで、人間関係に悩んだり、苦しんだりすることは避けられないこと。掲句は、そんな人間関係の難しさを詠った句である。
 下五の「すむことも」の「も」が絶妙である。落葉を踏みしめる音の中に、ふと自らの発した言葉を振り返る。あの時は、とっさにあのように強い言葉を返してしまったが、今にして思えば、あのように敢えて言わなくても、きっと事態は丸く収まったと思う。言ったがためにお互いが、その後気まずい思いをしてしまった。改めて人と接することの難しさを痛感するよ、と悔やむ。多くの人に似たような経験はあろう。しかし、そのような内面の葛藤や苦しみをいざ句にしようとしても、主観的な要素が強くなりすぎて簡単ではない。掲句は、それをうまくまとめている。

葦の野に帰燕万羽の眠りあり和田桃〔南柯〕

[俳句四季 2023年 12月号より]
 帰燕の塒は、河川などの湿地に生えている葦の原である。集まる燕の数は、数百羽から数万羽と差があるようである。この塒はどこであるか分からないが、「万羽」とあるので、かなり数の多い塒なのであろう。
 日が暮れるころに次々と集まってきた燕は、しばし暗くなりかけた塒の上空を舞う。その後、吸い込まれるかのように舞い降りると、しばらく騒がしく鳴き合う。やがてぴたっとその鳴き声も止む。そのあとは不思議なほどの静寂に。眠りに焦点化して、塒の静寂を描いている掲句、言葉の省略がなんとも見事である。 

社会鍋歩きスマホの過ぎ行ける杉村典亮〔蜻蛉〕

[俳壇 2023年 12月号より]
 対照的な事象を取り上げることにより、社会の変化や人の無関心さを印象的に表現している句である。
 スマートフォンが普及してからというもの、通勤電車の中での光景などのように、社会の状況はすっかり変わってしまった。歩きスマホもその危険性が指摘されながらも、あちこちでよく見られる光景である。生活困窮者支援等のための街頭募金活動をしている人、そのような慈善活動には、関心もなく、スマートフォンの操作に没頭しつつ過ぎる人。世の変化や無情を嘆く。

浜千鳥抜きつ抜かれつ群解かず寺島ただし〔駒草〕

[俳句 2023年 12月号より]
 浜辺で、餌を捕っていた千鳥の群が、何かに驚き、一斉に飛び立った光景である。動詞三語を用いて、群の動きを印象的に表現している。
 「つ・・つ」は、反対の意味を持つ動詞を並べ、両方の動作が交互に行われていることを表す助詞。それに続く、打消しの助動詞を用いた「解かず」。抜いたり抜かれたりしながら、やがてばらばらになるのかと思いきや、その様子もみられず、なんとも不思議であるよ、という。千鳥の習性をよく観察しているだけでなく心地よいリズムを有した句でもある。

凍滝となりし縺れを解かぬまま長島衣伊子〔朴の花〕

[俳句界 2023年 12月号より]
 凍滝となりしで切れる句またがりの句である。「縺れを解かぬまま凍滝となりし」と上下の語を入れ替えてみると、句意としては分かりやすくなるが、倒置法を用いたところに、作者の表現上の工夫がうかがえる。
 細い水の流れが複雑に入り組んでそのまま凍っていたり、飛沫が跳ねる様子そのままに凍っていたりと、じっくりと観察してみると、じつに複雑な様相を呈している凍滝であることよ、という。打消しの助動詞の「ぬ」(終止形は「ず」)がじつに効果的である。

日溜りを少し広げて帰り花山谷彰子〔九年母〕

[俳句界 2023年 12月号より]
 散歩の途中なのであろうか。ふと目に留まった帰り花。それを眺めていると、なんとも周囲の荒涼とした景色も明るくなってくるような気がして、心が温まってくるという。
 「日溜りを少し広げ」に作者の感動が表現されている。よく見られる植え込みの中の躑躅の花なのであろう。たった一輪なのであろうが、冬枯れの景色の中に、辺りの光を集めてほのぼのと咲く光景が想像される。

鮭遡る沈みし鮭の屍越え名取光恵〔いには〕

[俳句四季 2023年 12月号より]
 母川に回帰し、最終目的である繁殖という行動のただ中にある鮭の必死の姿を表現した句。川を遡上しはじめると鮭は餌もとらずに産卵場所へとひたすら遡る。その上流で、すでに産卵を終え、命の果てたぼろぼろの体の鮭。その上を越えるようにこれから産卵しようとしている懸命な鮭の姿。まさに最後の力を振り絞る必死の姿に深く感銘を受ける。
 子孫を残すために命をかけるという自然の生命力への驚嘆であり、生命への賛歌でもある。写生を超えたリアリティーのある句にまとまった。
(順不同)