鑑賞「現代の俳句」 (38) 田中里香
回天や海鼠を切れば水溢る中村猛虎〔亜流里〕
[俳句四季2024年3号より]
回天と海鼠の取り合わせの句である。回天を見たことがないとこのふたつはなかなか結び付かないだろう。
回天とは第二次世界大戦中に戦局打開の為に造られた人間魚雷。全長14.5m、直径僅か1mで搭乗員1名、脱出装置無しで敵艦に体当たりする特攻兵器である。
海鼠の動く速さは分速1~10㎝で、目が無くどちらが頭かお尻かがわかりにくい。マリアナ諸島の海の浅瀬には、足の踏み場の無いくらいに多数の黒海鼠がいたが、突いても逃げもしない。
海鼠を調理しようと目の前に置いた時、窓さえ無い真っ黒な鉄の塊の回天を容易に連想することが出来たのではないだろうか。海鼠に包丁を入れると沢山の水が出る。
この句を読んだ時、嘗て呉市で展示されていた回天、サイパン島の海に沈んだままになっていた零戦、弾痕の無数に残る壕、そして江田島で見た若き特攻兵たちの凛々しい写真や両親に宛てた手紙などが切なく思い出された。回天も海鼠も無力なものの象徴のように思われる。
摘みきれぬ土筆の中を帰りけり千葉晧史〔雛〕
[俳句四季 2024年3月号より]
土筆は杉菜の胞子茎で胞子を飛散させて増えるので、春になると堤や野原一面に顔を出す。煮物や和え物にして食べられるので摘むのであるが、下拵えに手間がかかるし春の野趣を少し味わう程度の量を摘めば事足りる。
掲句は、沢山生えている中から必要な分だけを摘み、まだまだ無数に生えている土筆の中を帰るという。生命力や日差しの暖かさ、春を迎えた喜びまでもが平明な17音で表現されている。
学校を覗いてゐる子春休み小松生長〔幡〕
[俳句界 2024年3月号より]
春は子供たちの環境が変わる季節で、期待と不安の入り混じる時期である。
掲句はどんな場面なのだろうかと考えてみた。卒業したばかりの学校を離れ難く思って覗いている子か?それとも、これから入学する学校が楽しみで待ち切れず見に来ているのか?春休み中だけど大好きな先生がいないかなあと覗き込んでいるのか?などいろいろな情景が思い浮かび、読み手が自分の経験と重ね合わすことが出来る。
いずれにせよ、この子は学校が好きなのだ。それが「覗いてゐる」の一語でわかる。たった17音の限られた音数の中において、動詞ひとつで心情まで表現出来るのが俳句の面白いところだ、ということに改めて気付かされた。
エルメスのスカーフほどの冬菜畑白石多重子〔宇宙船〕
[俳壇 2024年3月号より]
なんと洒落た句であろうか。冬菜畑の大きさをエルメスのスカーフで表している。
エルメスは1837年にフランスで設立された高級品ブランド。そのエルメスのスカーフは高価であるだけでなく芸術性も高く、額に入れて壁に飾られるほどである。サイズは45㎝×45㎝から大きいもので140㎝×140㎝まである。
従って掲句の冬菜畑は農家のものではなく家庭菜園であろう。冬菜は9月頃種を蒔いて冬に旬を迎える小松菜や野沢菜などで、周りが枯れて色のない時期に冬菜畑の緑は濃く鮮やかである。
朝から軍手をして庭の畑で作業をし、午後には化粧をしてハイヒールを履き、エルメスのスカーフを風に靡かせながら颯爽と出掛けて行くのかもしれない。発想の妙に脱帽である。
玉留めのやうに蕾よ冬の草山西雅子〔舞・星の木〕
[俳句 2024年3月号より]
玉留めとは縫い終わった糸の端を玉のように結んで止めること。針に2~3回糸を巻き付けて引き抜くので、ほんの小さな玉ができる。
作者は冬の草に小さな小さな蕾を見つけた。それを玉留めと例えたことにより読み手ははっきりと映像としてとらえることが出来る。そして「よ」という間投助詞を用いることにより、自分と同じようにもうすぐ来る春を待ち望んでいる気持ちを野の草と共有していることがわかる。「玉留めのやうな蕾や冬の草」としても句は成り立つが、それでは客観性が強まりよそよそしい句になり作者の優しい眼差しが薄れるのである。
卒業す互いの肩に突つ伏して豊泉真澄〔架け橋〕
[俳壇2024年3月号より]
中学生か高校生であろうか。感情が豊かでそれを隠そうともせず表現できる年頃である。卒業式が終わっていよいよ別れの時がきて、お互いの肩に顔を伏せて泣きあっている。
コロナ禍で卒業式も入学式も出来なかった時期があったが、やはり同じ感情を持つ者が顔を合わせてこそ感動が膨らみ、悲しみを分かち合い喜びを倍増させるのだと思う。卒業が寂しいのは楽しい時期を共に過ごしたからこそ。そして、肩を抱き合って別れの寂しさを共有したことによって相乗効果がもたらされたことが、中七・下五で表現されているのである。
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