鑑賞「現代の俳句」 (39)                  望月澄子

室咲の影に置かれしインク壺藤井あかり〔椋〕
[俳句界 2024年4月号より]
 室咲きの花は何であろうか。私はガラス瓶に挿された藍色のスイートピーを想像した。そしてインク壺のインクはスカイブルーの感じがする。インク壺からインクを吸い上げて清楚な花が咲いているかのようだ。まるで菊人形の後ろに置かれたバケツから、背中に巡らされた管へ水を吸い上げているのと同じように感じられて、不思議だ。静謐で詩的な世界が描けている。

ひとり残りてたやすく滅ぶ夕焚火山下知津子〔麟〕
[俳句 2024年4四月号より]
 焚火とはこんなものかもしれない。大勢で暖をとっている時は火勢も強く、たとえ見知らぬ人同士でも賑やかである。一人二人と離れてゆき、徐々に火を育てる人も減ってくると、火勢が次第に弱まる。そして遂に一人になってしまうと残り火が燻って、闇が深まり寂しい。「たやすく滅ぶ」の措辞から、この寂しさは焚火だけに限らないという作者の思いが伝わる。

温室の明るみを散る檸檬の葉若林哲哉〔南風〕

[俳句界 2024年4月号より]
 インド原産の檸檬は、日本では温室で栽培されることが多い。温室は温度や湿度が一定に管理されているので、常緑樹は瑞々しさを保っている筈だが、ひらひらと葉が散った。温室にも古い葉を落として新葉を育む自然の循環があることに気付かされる。たわわに実った檸檬の明るさが印象的である。

花のころ退学届受理するも堀切克洋〔銀漢〕

[俳句界 2024年4月号より]
 誰しも入学したての頃は、それなりに期待や抱負がある。その学校を中退するのは、何かの事情があっての事で、決意するまで悩んだだろう。退学届を受け取った作者も、何か別の手立てはなかったかと思い、行く末を案じただろう。折しも桜が咲き、世は卒業や入学など人生の節目を迎え、華やいだ人々で満ちている。下五の「受理」という固く事務的な言葉を用いつつ「するも」と言いさした表現に、複雑な心情が汲みとれる。

火打石鑽りて磯海女出漁す石井いさお〔煌星〕
[俳壇 2024年4月号より]
 火打石は、古来から魔除けや縁起担ぎとしても打ち鳴らす。船で沖へ出て深い海に潜る沖海女も磯近くで仕事をする磯海女も、身一つで海に潜るのは危険が伴う。短時間で手早く海藻や貝をとるのはベテランでも緊張するだろう。切り火を鑽って清浄な火の力により、身の安全と豊漁を祈願して一気に海へ入るのだろう。

毒あるか喰へるか薬草園に春尾池和夫〔氷室〕
[俳壇 2024年4月号より]
 春の蓬、夏の十薬や現の証拠などは、薬草としても日本人の暮しに根付いてきた。この薬草園には山茱萸の黄色い花も咲いているかもしれない。鳥兜のように有毒だが、塊根は薬の原料となるものもある。まさに毒と薬は紙一重である。この薬草はどうだろうかと好奇心に満ちて、春の一日を楽しまれたようだ。

くくられて棒立ちとなり苗木市田口紅子〔香雨〕
[俳句四季 2024年4月号より]
 苗木市では、立派な松などは土ごと根を荒縄で縛られ後ろに立っている。一番手前には小さなポットに植えられた色とりどりの菫やパンジーが並んでいる。中ほどは、掲句のように細々とした幹のそれこそ棒のような梅や桃の苗木が品種ごとに立ち並ぶ。それらはくくられているので花や蕾が密集して、遠目には花盛りのようにも見え、苗木市に彩りを添えている。

初蝶の速さ杖にて行く速さ仲寒蟬〔牧・平・群青〕
[俳句 2024年4月号より]
 早春に思いがけず蝶を初めて見かけると嬉しい。まだ頼りない飛び方であるが、春の到来を実感する。「初蝶の速さ」と「杖にて行く速さ」が対句のように表現され、あたかも初蝶が作者に寄り添うように漂っているかのようだ。春たけなわとなり蝶が素早く飛ぶ頃、自らもまた蝶と歩調を合わせて力強く歩けるだろうという信念が感じられる。初蝶に明るい未来と希望が託されている。