鑑賞「現代の俳句」 (5)                    沖山志朴

老鶯や園に二の橋三の橋伊藤康江

[萌 2021年6月号より]
 語の選択、省略の仕方、聴覚と視覚の取り合せ、どれをとっても学ぶものの多い句である。わずか十七音でありながら、想像力をかき立てて止まない。景色や庭園の様子が脳裏にたちどころに広がる。
 当然のことながら、園内には立派な一の橋があるのであろう。その下にはきれいな水が流れ、豊かな緑が広がる。そして、静寂を更に深めるかのように鳴き続ける老鶯。広い庭園の彼方には、相応の山が聳え、そこからは清水が流れ出ていて園内へと続いていることなども想像に難くない。作者は、その静寂の中に歩を進めつつ自然に心を預け、日々の生活の疲れを癒やしてゆく。

少し散りさくら十二分とぞおもふ髙橋道子

[鴫 2021年6月号より]
 「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と記したのは『徒然草』の筆者である兼好法師。世の中には、ちらほらと咲き始めた桜の花を好む人もいれば、満開の桜を最上のものとする人もいよう。また、桜の美しさは散り際にこそある、と信じる人も少なからずいる。作者は、咲き始めの新鮮な感覚を味わい、満開の美しさを堪能し、散り始めの哀れさを少々実感できればそれでその年の桜は満足だという。確かに風にはらはらと桜が散り急ぐ景色を見ていると、寂しさにも似た感懐を覚えたりもすることもある。
 古来日本人がこよなく愛してきた桜、その魅力には計り知れないものがある。花そのものの味わい深さもさることながら、咲く前から葉桜になるまで、様々なバリエーションが楽しめる桜。本格的な春の到来を告げてくれる花。それだけ桜の花の魅力には尽きぬ深さがあるという証左でもあろう。

木が鋸を咥へしままに春の雷能村研三

[沖 2021年6月号より]
 春は気温の変化が激しく、急に天気が崩れだしたり、雷が発生したりすることも珍しくない。この日も安定しない天候であったのだろう。突如鳴り出した雷に作業員も鋸はそのままに慌てて作業途中で逃げ出した。
 大樹には、とりわけ雷が落ちやすいことは作業員も十分承知のこと。取り残された鋸は、まさに木の幹が鋸を咥えているような様に見えたのであろう。この比喩により、人々の慌てふためく様子がリアルに伝わってくる。そして、俳味あふれる印象の強く残る句となったことは間違いない。 

まづ貌の向き変へ蛇の動きだす「空」柴田佐知子

[俳句界 2021年6月号より]
 一見何でもないようなことを詠っているようでありながら、実は細やかな観察に裏打ちされた句である。思わぬところで出くわした蛇に作者はしばしたじろぐ。しかし、やがて冷静になって眺める。蛇の方も暫く舌を出しながら匂いを嗅ぎ、人の出方や周囲の状況を窺っている。やがて安全だと確認すると、最初に顔を曲げ少しずつ体の向きを変え、藪の中へと消えてゆく。その最初の動きに見事に焦点化した。
 蛇との遭遇の場面や、蛇の戸惑いなどは一切省略されていて、記されてはいない。それでいながら、蛇の顔の動きに焦点化された中七の措辞から、作者の心理、蛇の一連の行動や心の内までもが見事に見えてくるような句である。

引越の荷に花束のスイートピー内海良太

[万象 2021年6月号より]
 スイートピーの花言葉は、門出、別離、優しい思い出などであるというから、きっと引っ越しの主は、これから社会に出ようとする若い人なのであろう。 
 家具やら、本やら衣類やらと様々な荷物が今まさにトラックに積み込まれようとしている。そんな中に、セロファンに包まれたピンクのスイートピーの花束が一つ彩りを放っている。異様なようでもあるその荷に、送り主の心遣いやこれからの人生への祝福の気持ち、別れの寂しさ等が込められているようで印象深い。

更けし夜の病棟を越すほととぎす嶋田麻紀

[麻 2021年5月号より]
 作者は胸椎間骨折の大手術により、片肺の機能の三分の一を失った。術後、眠れぬ夜が続いたのであろう。そんなある日の深夜、ほととぎすが、鳴きながら病棟の空を渡っていった。
 これからの健康のことや結社のことなど様々に期待や不安が脳裏をかすめる。ほととぎすの声は、それらの期待や不安を象徴するものでもあろう。

(順不同)