鑑賞「現代の俳句」 (51) 倉林美保
午後の日が攫ひてゆきぬ薄氷牛田修嗣〔香雨〕
[俳句 2025年4月号より]
「薄氷」は春さきになって張る薄い氷のこと。春の季語となったのは近代以降だと言う。
「攫ひてゆきぬ」の表現が一瞬で水に戻ってしまった様子を的確に捉えていて、光景がまざまざと目に浮かぶ。
薄氷を一部始終観察していなければ、このような発想は得られなかった。何より薄氷の儚さに心を寄せている。掲句の「午後の日」は動かない。
養生の被爆柳の芽吹かな松浦芳江〔砂丘〕
[俳壇 2025年4月号より]
今年は広島・長崎に原爆が投下されて80年になる。昨年のノーベル平和賞は「日本被団協」が受賞した。原爆の恐ろしさや無意味さを長年訴え続けてきた功績が認められたのだ。
広島市では爆心地から概ね2キロ以内で被爆し、再び芽吹いた159本の木々を「被爆樹木」として登録している。掲句の「被爆柳」もその1本である。焼けただれて弱った部分が丁寧に養生されて今年も芽吹いた「被爆柳」に勇気と希望を与えられた気がしたのだった。
花衣妣の名残りの躾糸 村田あを衣〔京鹿子〕
[俳壇 2025年4月号より]
お花見に出かけようと着物を選んでいた。すると母が自分にと縫ってくれていた着物が出てきた。袖を通そうと広げると、躾糸が未だついたままの真新しい着物だった。丁寧な仕事ぶりに母の愛情をたっぷりと感じ、懐かしさと恋しさで心がいっぱいになった。
優しく躾糸を外し、花見へと母の自慢の着物で出かけたのだった。
ぜんまいや腑に落ちぬまま世に出たる嶋本博司〔沖〕
[俳句界 2025年4月号より]
「ぜんまい」は歯朶科の一種で蕨・こごみなどと共に古くより山菜として親しまれている。ぜんまいとこごみは形状がよく似ているが、ぜんまいは薄茶色の綿毛に覆われているので区別は容易である。
「腑に落ちぬまま世に出たる」の擬人法の措辞には、春になったばかりで、まだ納得できていないまま地上に出て来てしまったぜんまいの様子が、何とも、ユーモラスに描かれている。綿毛で視界が不明瞭だったからなのか、などと想像するのも面白い。
啓蟄の擽つたしや東山宮本翔〔海棠〕
[俳句界 2025年4月号より]
啓蟄は二十四節気の一つで地中の虫が地上に出てくる頃で陽暦では3月頃。
掲句の東山に、作者は住まわれていると思われる。京都は三方を山に囲まれていてその東側に位置するのが東山連峰で滋賀県の琵琶湖を隔てて北は比叡山から南は稲荷山まで続いている。
中七で地中の虫が這い出てくる様を捉えて「擽つたしや」と表現したところに面白味がある。
このころになると東山の麓の多くの寺社仏閣に、観光客が湧き出たように来る様とも相まって、住み慣れた風土への確かな観察眼を感じる。
春日社の空に彩雲寒鴉鳴播广義春(雲の峰・銀漢〕
[俳句四季 2024年4月号より]
彩雲は古来から瑞雲などと呼ばれ、見ることが出来たなら、良いことが起こる前触れなどと言われている。
この彩雲が春日社を参拝した折に現れたのだった。今年も良いことがありそうだと思った時、それを肯定するかの如く寒鴉が鳴いた。
春日社の朱色、彩雲の目出度い色と寒鴉の漆黒色の取り合わせも偶然とはいえ幸先の良い出会いだった。
独房の窓に来るてふ恋雀曽根薫風〔馬醉木〕
[俳句四季 2025年4月号より]
作者は岡山刑務所で月に一度俳句の指導をされている。特別な環境でのご指導はご苦労もあると思われる。 罪を犯して刑に服している人たちが、俳句を学ぼうとしている姿勢に、驚きと感動を覚えた。
掲句は独房の受刑者の話からの景を詠まれた句。どのような罪を犯したかは想像もできないが、独房での話し相手もいない窓辺に恋雀が来て明るく囀っている、そのことが、心の支えだと言う。外部との接触が制限されている中、自分を励ましている様に感じたのである。同時作に「刑務官隅に控へる初句会」、なんとも緊張感のある句会の景である。
土の色ぼやけてをりぬ落椿抜井諒一〔群青〕
「俳句 2025年4月号より」
椿の散り方は山茶花などとは違い、花びらごと落ちる。落ちてもまだその瑞々しさを保ち、蕊も鮮やかな黄色でよく目立つ。
掲句は庭を埋め尽くす程の紅い「落椿」により、土がくすんで見えた様子を「ぼやけてをりぬ」と捉えた確かな写生の目が感じられる。完璧な自然詠として味わいたい。
- 2025年7月●通巻552号
- 2025年6月●通巻551号
- 2025年5月●通巻550号
- 2025年4月●通巻549号
- 2025年3月●通巻548号
- 2025年2月●通巻547号
- 2025年1月●通巻546号
- 2024年12月●通巻545号
- 2024年11月●通巻544号
- 2024年10月●通巻543号
- 2024年9月●通巻542号
- 2024年8月●通巻541号
- 2024年7月●通巻540号
- 2024年6月●通巻539号
- 2024年5月●通巻538号
- 2024年4月●通巻537号
- 2024年3月●通巻536号
- 2024年2月●通巻535号
- 2024年1月●通巻534号
- 2023年12月●通巻533号
- 2023年11月●通巻532号
- 2023年10月●通巻531号
- 2023年9月●通巻530号
- 2023年8月●通巻529号