衣の歳時記(89) ─水着 ─                        我 部 敬 子

 

 梅雨明けから続く炎暑は8月に入っても衰えず、厳しい残暑となる。人々は夏休みを取って海や山へと繰り出す。いつもは波の音だけの海水浴場も、真夏の間は若者や家族連れで賑わう。

水着まだ濡らさずにゐる人の妻鷹羽狩行

 海やプールで泳ぐ時に着る「水着」。かつては木綿、毛織物、絹が使われたことがあったが、今はポリエステルなどの化学繊維のものが主流となっている。一般用と競泳用があり、女性用はとりわけカラフルで、デザインが豊富。副季語は「海水着」「海水帽」。

まつはりて美しき藻や海水着水原秋櫻子

 海水浴は医療を目的として十八世紀のイギリスで始まった。十九世紀になると、ヨーロッパ各地に海水浴場が作られ社交の場となる。その頃水着と呼ばれるものが登場。女性は半袖の短めのドレスに膝丈のブルーマーを着け、靴下を穿き帽子を被るという、ほぼ全身を覆うものだった。
 我が国では明治の半ばに、大磯に初めての海水浴場が開かれた。初めは和洋折衷のちぐはぐな格好だったが、やがて赤と紺、白と黒などの太い横縞のメリヤスのワンピース型水着「縞馬スタイル」が流行。無論丈は膝まであった。
 海に囲まれた島国の日本には、古くから水練という鍛練術があり、江戸時代に武芸として集大成された「日本泳法」が今も受継がれている。武士の装束のままの着衣泳法もあるが、概ね褌を締めて泳いでいたようで、水着という発想は生まれなかった。
 その後日本の水着は、欧米のデザインを模して次第に露出部分が大きくなっていく。大正期から昭和にかけてノースリーブやシュミーズ型が現われ、丈も短くなり、より活動的なランニング型が定着した。

戦前の水着を一夜みて過ごす宇多喜代子

 戦後、水着は繊維の開発と共に著しく発展。セパレートやビキニも出現し、見せる水着として色柄共にファッション性が高まっていった。小さな布切れのような水着を詠んだ句。

ひろげ干す花びらほどの水着かな片山由美子
真水にて絞れば水着一と握り新田祐久

 例句を集めながら感じたのだが、昭和の句は水着姿の鮮烈さから、水着の女性の有り様に焦点があてられる。当代の作家は、水着を一つの物体としてクローズアップし、現代社会の空気を表現する。

水着捨ておかれ広告代理店櫂未知子
無思想の肉が水着をはみ出せる長谷川櫂

 競泳者の水着がより薄く、より軽くと進化するように、この季語の可能性の広がりに期待したい。