衣の歳時記(76)   ─レース ─

我部敬子

厳しい炎暑が始まる七月。日暮れても地面の火照りが体に纏わり、夏の真直中にいることを思い知らされる。若者たちといえば、海やキャンプ場で伸びやかに盛夏を謳歌する。

若き日焼レイスの白き模様乗り 中村草田男
夏の洋服の中で、一際涼しく優雅に見える「レース」。特に白のレースは清潔感が漂う。レースは、木綿や麻、絹、化繊などの糸を編んだり撚り合わせて、透かし模様を作る。衣服の他に装飾品、カーテンなど一年中みられるが、主に夏向きとするので、夏の季語となった。語感も爽やかである。副季語は「レース編む」。

はるかより心もどしてレース編む  沖祐里
レースは驚くほど種類が多い。手工レースの代表は、いわゆるレース編みといわれる鉤針編みのクロッシェ・レース。ボビンを使って編むのはボビン・レースと枚挙に遑がない。服飾事典の図版で見ていると、その繊細な美しさに溜息が出るほどである。この女性を引きつけて止まない魅力は、どのようにして生まれてきたのだろうか。
歴史は極めて古く、先史時代の漁網からという説もある。紀元前千五百年には、すでに古代エジプトやシリアで亜麻布に縁かがりをしたものがあり、古代ギリシャ、ローマにも初期のレースが見られた。独立した装飾品として著しく発達したのは、十五世紀頃のイタリアである。 当初は尼僧たちが僧衣や祭壇掛けのレースを作っていたので、「ナンズ・ワーク」(尼僧の手芸品)と呼ばれていた。その後その技術がフランスに導入された。更にフランドル地方でボビン・レースが考案されると、ヨーロッパ各地で競うように新しい技法や図案が生み出された。十七~十八世紀はレースの黄金時代といわれる。その土地の女性達が一針一針、多くの時間と労力をかけて編み出した精巧な意匠。レースは宝石並みの貴重品とされ、それぞれの産地の名前が付けられた。中でもヴェネシアン・レースとヴァレンシアン・レ ースは最高級品として名高い。
そして十八世紀末に機械レースが登場すると、それまで王侯貴族が独占していたレースは一般の人々にまで浸透していった。
我が国に入ってきたのは明治維新後である。明治十五年、京橋に官立レース教場が建てられ、英国婦人を講師に招いた。時は鹿鳴館時代。ドレスばかりでなく、ハンカチ、ショール、手袋などに需要が高まる。大正期には編機械を輸入。レースは庶民の手の届くものとなり、和装の肩掛けなども流行した。

レースの襟ほのかに黄ばみ少女司書  能村登四郎
戦後生まれの筆者にとってもレースは憧れの布であった。七、八歳の頃、母が縫ってくれた夏のワンピースの襟とポケットにレースがあしらわれていて嬉しかったこと。長姉が着た総レースのウェディング・ドレス。レース編みに夢中だった三番目の姉。自分の給料で作った水色のケミカル・レースのワンピース等々、どのレースも懐かしい。
現代の機械レースは、摩擦に弱い、耐久性に乏しいといった欠点を克服し、お洒落着、下着、カーテンなどとして身辺を飾ってくれている。ヨーロッパで完成された素晴らしい手芸の恩恵に感謝したい。