古典に学ぶ (70) 『枕草子』のおもしろさを読む(24)
─ 清少納言の人間観察 宮仕え必須論② ─     
                            実川恵子 

 親の決めた男と結婚し、その男の出世によって我が身の社会的地位も上がり、経済的にも恵まれ、幸福に暮らす。勝手な恋愛沙汰や結婚後の浮気もしないで、夫の女性関係は当然のこととして、大目に見て、家を治め、奥方として尊敬される。そういうあり方を清少納言は、「えせざいはひ」(幸いに見えて実は本当の幸いではないもの)と決めつける。男の価値観が、女のそれとは根本的に異なるものという認識があってみれば、男に寄り添って成り立つ幸福は、将来を保障されたものではなく、見せかけのものにすぎないと考えるのは当然のことである。
 女が世の中のことを大きく見渡せる場に出ること。清少納言の身分、その時代を考えると、それは宮仕えすることによってしか達せられないものだったのだろう。もちろん、宮仕えしても、世の中がどんなふうに見えてくるかは、その人の目次第ではある。
 また、どう世の中を認識したとしても、女が世の中を動かすことは、よほどの例外的な場合でなければ、望めなかったであろう。それでも、自分自身の人生を考える視点は、家の中にしかいなかった女とは、決定的に違うのではないだろうか。
 自分の存在を、夫との関わりだけで見るしかない、というのではなく、外の世界との関わりで見ることができるということは、知的な充足感を、ひいては生きている安定感を、そして、そういう充足や安定感を、さらに、そういう充足や安定の限界を認識する可能性を女が持つこと。家の奥深くかしずかれて、身分の低い者と顔をあわせることなく、外との接触から生まれる不快さ
と無縁ですごすこと。
 この二つをはかりにかけた時、清少納言は前者をとったのだといえる。もちろん、その選択を可能にしたのは、清少納言の宮仕え経験であった。
 悔恨と共におのれの人生を見るのではなく、自分の生きてきた足どりを、それなりに肯定するという姿勢がそこにはあるように思える。
 晩年は零落したといわれる清少納言だが、零落しても、悔恨の涙におぼれることはなかったで
あろう。
 物質的な不自由さも、あるいは世間から忘れさられたような老後も、それなりに、知的に楽しんだのではないかと、私には思われてならない。こういう健康的な自己肯定の精神は、文学においてはとかく低く評価されるようだが、当人の生き方としてはとても上質なものだといえると思う。
 こうした清少納言の考え方を、当時の女性の一方の極を代弁する意見とすれば、さしずめ紫式部の意見はその反対に立つと思われる。『紫式部日記』によれば、有能な女房であったに違いない彼女が、宮仕えにはどうしてもなじめない嘆きをもらしている。『源氏物語』「帚木」巻の「雨夜(あまよ)の品定め」での有名な女性論は、要するに、男が生涯を託し得る家庭の主婦として、どのような女性が理想であるかという議論で、紫式部は家庭の主婦という一点にしぼられる。清少納言と紫式部とでは、性格も、ものの考え方も全く異なる。当時の家庭は大家族であるから、その主婦の役割の大きさは、現在の核家族の主婦とは比べ物にならない。現実に女性の社会的活動の場がほとんどなかった事情を踏まえて考えれば、主婦論を展開した紫式部は常識的で、清少納言の方は少数派であったろう。この章段は、宮仕えというものに一縷の活路を見出し、世間の常識に挑戦しようとした清少納言の気概も感じられておもしろい。