古典に学ぶ (74)令和を迎えて読み直す『万葉集』の魅力
─  「梅花の宴」の意味するもの②─     
                            実川恵子 

 「園梅を賦して、聊かに短詠を成すべし」という序文の要請によって繰り広げられた32首もの短歌が序文の後に続く。これらは、旅人の配下の者たちの歌で、またその人々の職業も様々である。冒頭から官位や氏名から見て最初の7首は身分順に配されている。
 その客席で最も身分が高く、最高の席を与えられたのが、大弐紀卿(だいにききょう)(この頃、従四位下であった紀朝臣男人きのあそみおひと)らしい)である。彼は、この梅花の宴のかわきりに相応しい歌を詠まなければならず、責任は重い。そこで、次の歌を詠んだ。

正月(むつき)立ち春の来たらばかくしこそ梅を招をきつつ楽しき終をへめ(815)
(正月になり、春がやってきたなら、こうやって毎年梅の花を迎えて、楽しみの限りを尽くしましょう)

 この宴がいついつまでも続くことを願い、また、自らの位置をわきまえ冒頭歌らしい歌を奏でたのである。続く少弐小野大夫(しょうにお のだいぶ)の816は、

梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも
(梅の花よ、今咲いているように散ってしまわずに、この我らの園にずっと咲き続けてほしい)

 小野大夫は、この宴の共通の題詠が「園梅」であることを「我が家の園」という語を用いて示し、二番手としての面目をほどこしている。三番手の少弐の粟田大夫(あわだたいぶ)の817歌は、前歌の「梅の花」「園」を承け、それと取り合わせの「柳」を新たに出し、園梅を褒めている。

梅の花咲きたる園(その)の青柳は蘰(かづら)にすべくなりにけらずや
  (梅の花の咲き匂うこの園の青柳は美しく芽吹いて、梅のみならずこれも蘰にできるほどになったではないか)
 
ここで「柳」を出したことで、歌の流れを転換したことにもなる。これに続けて歌ったのは、主催者旅人の親友の山上憶良(やまのうえのおくら)である。

春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ(818)
(春が来ると、真っ先に咲く庭前の梅の花をひとり見ながら、春の日を暮すことか)
 
   前歌の「園」を「やど」に転じつつ、恋歌の発想で眼前の園梅を褒めている。そして、注目すべきは下句の「ひとり見つつや春日暮さむ」である。「ひとり」は、『万葉集』では、妹や背など好きな人を伴わず、「我ひとり」の意に用いるのが習慣である。つまり、この梅の花は、あの人と離れてひとり見ながら、切ない春の一日を過ごすのは惜しんでも惜しみきれない花なのであると詠じる。おそらく、この歌の背景には、この宴の二年前、この屋敷で亡くなった妻大伴郎女(おおとものいらつめ)失った旅人の心境があったのではなかろうか。恋歌仕立てのあわれさが、主催者旅人へ向けた慰みの役割をも担っているように思える。続く五番手(819)は、豊後守大伴大夫(ぶんごかみおおともだいぶ)である。彼は、憶良の818が恋歌仕立ての歌であることを即座に読み取り、次のように詠う。

世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを

(世の中は恋の苦しみが尽きません。こんなことなら梅の花にでもなるほうがましです)
 
   つまり、憶良歌の「ひとり見つつや」を承けて、仰せのとおり「世の中は恋繁しゑや」と詠ったのである。大伴大夫は、憶良が妻を失った旅人の心境に立って詠んでいることを充分理解し、この歌も旅人になり代わった思いが込められる。このように、主人旅人の孤独への思いやりの歌を2首並べたのである。