コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(138)うちの子でない子がいてる昼寝覚め 米朝(俳号八十八)
掲題の句は、落語界ではただ一人、文化勲章受章者の桂米朝さんが平成17年7月の東京やなぎ句会で詠んだものである。俳号の八十八(やそはち)は、言うまでもなく米朝の上一字を分解したもの。平成27年で46年の句会歴を誇る東京やなぎ句会の創設以来の唯一の関西同人だったが、90歳を目前に同年3月、亡くなった。
「粋で端正な高座同様に色気と品のある俳句だった」と句会開設時から宗匠を務めてきた入船亭扇橋さんは、米朝句を評した。その扇橋さんも句友の後を追うように同じ年の7月、84歳で逝った。俳号、光石を名乗っていた扇橋俳句については、43話で紹介した。八十八俳句に戻る。
米朝さんは、米寿を目前にした平成23年に初句集『桂米朝句集』を岩波書店から出した。友人の古典芸能評論家、権藤芳一さんの強い勧めによる。やなぎ句会での詠を中心に200句が収められているが、肩の力を抜いた遊俳の楽しさに満ちた句が並ぶ。
*初鶏の声より先に山の神
ふきのとう四五寸横に残る雪
顔よりも大きな団扇裸の子
*稲妻の帰りたくない夜の酒
富山梨売る子の胸のはちきれそう
*祇園うら年増ばかりの針供養
桜餅一つ残して帰りけり
掲題句の〈うちの子でない子がいてる昼寝覚め 〉は句会にゲストとして招かれた鷹羽狩行氏が激賞、同時に投句した〈 打上げを見て帰りきて庭花火 〉は同人の選句で「天」を取った。句会の宗匠、光石こと扇橋さんは、句会仲間(永六輔、大西信行、小沢昭一、加藤武、柳家小三治、矢野誠一)の間で話題に上る名句として〈 春の雪誰かに電話したくなり 〉を上げ、「すばらしさは、かざらぬ心情を詠んでいるところ。人恋しさが感じられ、上品な色気、米朝さんのお人柄そのままです」と評し、右の*印三句と次の七句を〈扇橋による「米朝句十選」とする〉と句集序文に記す。
表札のかわりの名刺空つ風
風鈴も鳴らず八月十五日
筍につきたる土も故郷(くに)の土
初蝶や土佐空港の昼しづか
婚礼の荷が湖畔ゆく揚雲雀
ランドセルこれが苦労のはじめかも
売つた家(いえ)庭そのままにひこばえる
(139)交(さか)る蜥蜴くるりくるりと音もなし 加藤楸邨
夏の季語の蜥蜴を詠んだ句は数多い。だが、今日では滅多に“その ”現場に居合わせ、目撃するチャンスのない「貴重な出逢い」に遭遇した幸運な(?)写生句が掲題句だ。
われわれが目にするニホントカゲ(トカゲ亜目トカゲ属)の交尾期は4月から5月で、繁殖齢(生後2~3年)の蜥蜴の雄、雌が出逢うと互いに頭部を愛咬し、合意となると楸邨句の描写のようにユーモラスな交尾が始まる。
実は多摩地区に住むコラム子宅の狭庭には、長年蜥蜴一家が棲み付いており、楸邨先生と同じような僥倖に2回出食わしたことがある。1か月後、孵化するが、子蜥蜴の姿が目に付くのは梅雨明け後、かんかん照りの日を浴びて鮮緑の尾を引き、暗緑色の背に虹色を浮かべて走るころ。
俳句に瑠璃蜥蜴、青蜥蜴と詠まれるのは、そういう種類の蜥蜴がゐるのではなく、“成人式前 ”の蜥蜴の色彩に俳人が与えた美称だと言うことは案外知られていない。黒蜥蜴、縞蜥蜴も同じニホントカゲの成長段階の“見てくれ表現 ”なのをご存知だろうか。しかも縞蜥蜴と詠まれた句には、遠目だと蜥蜴そっくりのカナヘビ(トカゲ亜目カナヘビ属)の目撃写生句が混ざっているはずだ。
カナヘビは幼生期から茶褐色で黒褐色の色帯が縦に走っているため縞模様が蜥蜴以上に鮮やか。そんなことから縞蜥蜴と一括して詠句されていると推測されるのだ。しかも環境変化によってニホントカゲが絶滅危惧種になりつつある中で、カナヘビが生息範囲を広げているのも知っておきたい。コラム子の狭庭でも数年前からカナヘビ一家が優勢になっている。
ちなみに蜥蜴との特長的な違いを一つ上げれば、体長の70%が尻尾の蜥蜴に対して、カナヘビは74%とさらに尾の部分が長い。と言っても、どこから尾と識別できない素人が見分けることは難しい。どちらもトカゲ亜目の仲間と割り切って、美称を時に応じて使い分け、佳句、秀句をどうぞ。
出て遊ぶ蜥蜴に日蔭なかりけり高浜虚子
輝ける己おそれて蜥蜴かな中村汀女
父となりしか蜥蜴とともに立ち止る中村草田男
しんかん蜥蜴が雌を抱へをり横山白虹
進み出て騎士のさまの青蜥蜴鷹羽狩行
いくすぢも雨が降りをり蜥蜴の尾橋本鶏二
洛北に氷河期の池蜥蜴出づ朝妻 力
鋏鳴る音に素早き青蜥蜴杉山青風
走り来て波打つ腹や瑠璃蜥蜴早川暢雪
門閉ざす回教寺院の縞蜥蜴角田信子
黒蜥蜴ひねもす岩を抱いてをり小澤克己
青蜥蜴尾を切り捨てて振り向かず松谷富彦
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