日本酒のこと (15)
杜氏の多様化 安原敬裕
杜氏とは、日本酒造りの技能集団のトップであり、酒蔵の酒造現場の総責任者です。かつては越後や南部等の出身地ごとの蔵人が集団を結成して、農閑期の出稼ぎという季節就労として全国の酒蔵で働いていました。しかし、酒蔵数の急減もさることながら、出稼ぎ自体が過去のものとなったことから将来の杜氏の卵である蔵人の志願者が激減しています。このため、酒造りの現場では杜氏や蔵人を巡る環境は大きく変化してきています。
勿論、酒造りの総責任者である杜氏の役割は昔も今も何ら変わりはありませんが、変わったのは杜氏の出自の多様化です。その中で、近年とみに増えてきているのが酒蔵の社長である蔵元自身が、あるいは息子や娘が蔵人を経て杜氏となるケースです。一昔前の蔵元は地方の名士や顔役としての活動に忙しく、酒造りは杜氏に一任していたことは既に述べたとおりです。しかし昭和50年代後半以降は、急速な日本酒離れを目の当たりにして経営者の視点から酒造りの現場に口を出すようになりました。
当時は地酒ブームのはしりであり、技術的に難しいが消費者受けする吟醸酒や純米酒を求める蔵元と従来どおりの昔酒に頑固にこだわる杜氏との間に軋轢が生じ、それならばと杜氏を替えたり蔵元自身が杜氏に就くという流れが出てきました。また、大学で醸造学を学んだ子供が蔵の苦境を打開せんと進んで杜氏を引き受ける事例が増加しました。私は平成2年の頃は山口県警の警務部長職にあり当時から「日本酒の安原さん」と呼ばれていました。岩国市近郊の警察署長から「旭酒造という蔵の酒を是非とも飲んで欲しい」と云われ早速に巡視の日程を組みました。それが今や国内外から注目されている「獺祭」の蔵であり、後継ぎの息子が帰って来てから一気に評判が高まったとのことでした。
そして、近年勢いを増しているのが「蔵女」と呼ばれる女性杜氏です。昔の酒蔵は女性禁制でしたが、今では意欲のある女性の杜氏が次々と誕生しています。私が訪問した小諸市の「浅間嶽」の蔵では、娘さんが父親の逝去を機に東京から戻り一から酒造りの修業をしたと笑って答えてくれました。今では女性杜氏の蔵が全国で約50にのぼり、芭蕉生誕地である伊賀市の「るみ子の酒」、岩手県紫波町の「月の輪」、前橋市の「町田酒造」等が私の好きな酒です。
また、外部から杜氏を雇う場合は越後、南部、能登等の出身者が今でも大勢ですが、大学の醸造学卒で現場経験を積んだ者を杜氏に採用するケースも増えています。私は、10年前に千葉県御宿町の「岩の井」の蔵で三日間の酒造りの補助業務を体験したことがあり、その時の若い杜氏がこのタイプでした。研究室のような部屋で発酵中の醪(もろみ)の温度やアルコール度数、酸度等のデータをパソコン入力して作業指示を出す姿が印象的でした。そして、自分の手で複雑な工程と技術を要する山廃(やまはい)造りを成功させたいと熱く語っていました。
春の夜や妻の奢りで酒を飲む良雨
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