日本酒のこと  (17)                     安 原 敬 裕
 「日本酒の甘口・辛口」         

 酒販店や居酒屋で「甘口ではなく辛口の酒はどれですか」と尋ねるお客さんをよく見かけます。大概が中高年の方です。その理由は、この欄で何度も触れましたが昭和50年代までの日本酒の主流を占めていた甘たるくて悪酔いする「三倍増醸酒」の厭な記憶が根強く残っているからです。その当時に日本酒の救世主となったのが「越乃寒梅」等の淡麗辛口の地酒であり、そこから甘口=不味い酒、辛口=美味な酒という構図が定着してきました。なお、現在ではかの三倍増醸酒は禁止されていますのでご安心を。
 日本酒の香味は甘辛酸苦渋の五味や香りで構成されますが、残念ながらそれを讃える語彙はワインのように豊富でなく、昔から「あま・から・ぴん」と単純に表現してきました。また、日本酒の甘口・辛口についての定義はなく、飲んで甘さを強く感じるものを甘口、そうでないものを辛口と呼んでいるだけです。その甘辛に日本酒についての甲乙がある訳ではなく、あるのは個人の好みと地域の食文化との相性です。淡白な白身魚を好む広島、愛媛等の瀬戸内地方は味にうま
みのある甘口の、他方でしっかりした味を好む高知や新潟等では淡麗な辛口のお酒が一般的ですが、現在では全国の食分化の画一化もあり一部の伝統的なお酒にその名残りが見られるのみです。
 やや理屈っぽくなりますが、日本酒には「日本酒度」と「酸度」の概念があります。日本酒度とはお酒に含まれる糖分の量のことであり、数値がマイナスであれば糖分が多く逆にプラスになるほど少なくなります。一方、酸度とは乳酸やコハク酸、クエン酸等の酸の量のことであり、この数値が大きいほど酸の量が多くなり辛口に感じられます。このため日本酒度が小さく酸度が小さいお酒ほど甘く、その逆は辛く感じるという理屈になります。しかし日本酒の味覚の甘辛には酸度の影響力が強く、日本酒度がマイナスでも酸度が高ければ辛口に感じます。このように日本酒度も酸度も単なる参考値にすぎません。
 ところで、飲み飽きない美味なお酒とは「含んで甘く、喉ごし辛く」と云われてきました。お酒の良し悪しは甘口・辛口の単純な二分論ではなく、口に含んでから喉を通過して五臓六腑に至るまでの過程の全体のなかで判断すべきものです。日本酒は糖分の甘みがあってこそ「おいしさ」を味わえ、豊かな酸味があるからこそ立体的な「ふくらみ」を楽しめます。このように日本酒には甘さと辛さ、糖と酸のほど良い調和が求められます。
 さて、プレミアム酒と呼ばれ女性若者に人気のあるお酒に、山形県村山市の「十四代」や、三重県名張市の「而今」、佐賀県鹿島市の「鍋島」等があります。これらの酒は甘口ですが、その甘味は大変に上品であり且つ爽やかな酸味とのバランスが絶妙です。そして、最近は自然な流れとしてこの種の日本酒が大きなトレンドとなっています。
昼酒にまぶしき庭の新樹光升本行洋