鑑賞「現代の俳句」 (13) 沖山志朴
古日記空白なるは悲しき日伊藤伊那男〔銀漢・春耕〕
[俳句 令和4年2月号より]
銀漢主宰でもある伊那男氏の作。氏は、春耕誌の今年の1月記念号の座談会で「・・私は俳句というのは、その作者の名前が前書きであると思っている。その人の俳句をよく理解しようと思ったらその人の人生を知っておくべき・・」(28頁上段18行目~22行目)と語っておられる。確かに俳句にはその人の人生を知ることにより、味わいがより深くなる例は少なくない。
「悲しき日」は、人生における辛苦を意味する。同じ春耕の記念号に、蟇目主宰が「伊藤伊那男論」の中で、伊那男氏の大腸癌の発症、負債を抱えた会社の倒産、愛妻の死などの苦難について触れている。それらの苦難を強く乗り越えてこられた氏の人生を重ね合わせて読むと、掲句の味わいはまた一層深いものとなる。
水音を纏ひて山の眠りをり黛まどか〔無所属〕
[俳壇 令和4年2月号より]
「纏ひて」いるのは、水音。擬人法が用いられている。さほど高くない山なのであろう。その麓を流れる比較的流れの速い川。その川音に包まれるようにして一山が眠っているという情景である。
風のない冬の穏やかな真昼。微動だにしない山の木々。その麓を流れる川と、絶えることのない水音。聴覚の動と視覚の静との対照のもとに一句が成り立つ。昨年父君の執氏が他界された。そのあとを受けて、会員の皆さんが一生懸命に頑張って結社を盛り上げていますよ、という報告の句とも読み取れる。
雪吊の緊張解いてゐる水面水田むつみ〔田鶴〕
[俳句四季 令和4年2月号より]
澄んだ青空に張り詰めて聳える雪吊。そして、その影がくっきりと映った池の水面。風が吹くと、おのずと水面には、わずかな波が立つ。その波紋に荒縄の張り詰めた影がゆがみだす、という光景である。
雪吊と、その影が映った水面との取り合わせの句は、よく見受けられる。しかし、掲句は、中七の「緊張解いて」の措辞の工夫により、全く趣の違った斬新な句となった。
早春の音色を廻す水車かな山畑河洲〔うぐいす〕
[俳句界 令和4年2月号より]
同じ水車の音色であっても、春を迎えた今は、明らかに冬の間の音色とは違いますよ、という。聴覚で春の到来に気づいた喜びを表現した句である。
「早春の音色」に、軽妙な響きが感じられる、雪解けにより、水量の増した小川。おのずと水車の汲み上げる水の量も多くなり、落下する水音も激しくなる。また、水車の回転も速くなるとともに、軸の軋みも高まる。春の訪れの音を、しかと心の中の耳で受け止めて聞いていますよ、という。
絵踏する女こつちを見てをりぬ阪西敦子〔円虹〕
[NHK俳句 令和4年2月号より]
高浜虚子に〈絵踏して生きのこりたる女かな〉という句がある。虚子のこの句は、天罰の恐ろしさよりも、刑罰の方を恐れ、うまく世渡りをした女性の行動を批難した句とも受けとれる。
しかし、掲句の女性は、少々違うようである。堂々としたその振る舞いに、思想や信条の自由を踏みにじられる女性の、幕府への恨みがましい視線すら感じられるのである。近代的な自我に、すでにして目覚めている女性の批判の目とも感じられてならない。
落ちさうな机上の山や十二月中坪達哉〔辛夷〕
[辛夷 令和4年1月号より]
後で時間が取れたら読もう、そう思いつつ机上に積んだ本が高くなってゆく。気が付けば、年の暮れ。うず高くなった本が今にも崩れ落ちそうになっていて、さて困ったぞ、と思う。自虐的にユーモアを込めて表現した句である。
多くの人に似たような経験があるのではなかろうか。筆者も、先日、幼い孫が書斎に入ってくるなり、わっ、本が崩れそう」と言って、逃げるようにして去っていった経験をしている。
古日記書けざることをほのめかし福永法弘〔天為〕
[天為 令和4年1月号より]
古い日記を読んでいたら、核心を逸らし、それとなく匂わすような表現で書かれている部分が目に留まった。作者はすぐに例のあのことだと思い出す。
死後、日記が家族や家族以外の人の目に触れることを想定して、人に知られたくない秘密や、人を傷つけること、思い出したくないことなどを、自分だけが分かる表現でほのめかして書いたものであろう。下五を連用形で止め一句に余韻を残す工夫が効果的である。
(順不同)
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