韓の俳諧 (42)                           文学博士 本郷民男
─ 忘れられた朝鮮公論③ ─

 雑誌『朝鮮公論』俳壇選者は青木静軒でしたが、他の選者もいました。大正3年(1914)8月号には、「朝鮮俳句奨励会第一回募集俳句発表」として、今村螺炎・隣雪庵千春・蟻生芙蓉・小谷丹葉・花儒園と、五人の選者が見えます。
   今村螺炎先生選
横櫛やどてら被りし女伊達 仁川 柿痴郎
無鉄砲に来た山路なり初桜 京城 弧竹
野を焼いて小雨そぼふる夕哉 京城 四五六
揺れ止みし柳の影や朧月 京城 小鼓子
初花や山駕籠寒き膝頭 柿痴郎
野は焼けて徑に燻ぶる牛の糞 京城 不器郎
旅僧の虎臥す山に登りけり 京城 七九
未だ酒の備へも無きを初桜 仁川 春静
徒然の旅の日記や破れ行灯 南浦 紫峰
町を出て朧月夜となりにけり 横城 萩露
   人位
初花や巫女が袴の色褪せて 横城 萩露
   地位
二日灸累々として痩男 萩露
   天位
桟橋や月の朧を博多節 萩露
   追加
咲きにけり一輪なれど初桜 選者
 選者の今村螺炎(1870~1943)は本名が鞆で、地方の警察官から身を起こし、最後は李王職庶務課長まで至りました。川柳と俳句では半島きっての多作作家で、退官後は民俗学者・歴史家として名を残しました。他の選者が資料に出てこないのと対照的です。高点句はみな萩露で、住所の横城(フェンソン)はソウルから東に100キロの山村で、すぐ東がオリンピック会場となった平昌(ピョンチャン)です。
同12月号 公論俳壇募集句 青木静軒選
   ▲冬の月。餅搗
餅搗や新参者の馬鹿力 仁川 杢実
琵琶に泣いて天幕出れば冬の月 京城 水戸坊
海難の救護に更けて冬の月 麻浦 江水
山門へ馬の炭荷や餅搗く日 三浪津 緑也
冬の月仔犬捨てずに戻り鳬 淸津 竹風
   選者吟
蹴りし石の音尖る街月凍てゝ
片羽鴛鴦池に残りて月寒し
 選者静軒子薬に親しんで選を見る能はず。代評の白羽己に立ちて編輯の切迫、辞するに由なく勇を鼓して試みに妄評に従ふ。素より間に合せ物によき例しのあろふ筈なく、出吟者の失望は察すに余りあれど互選の程度と我慢して諦めらるべきもの也。
 朝鮮公論の告示で、青木静軒が病気で入院のため、今村螺炎に代評とあります。螺炎が代評を務め、見事な俳文まで披露しました。
 螺炎は川柳から学術書まで筆が自在でした。青木静軒は何の病気かわかりませんが、しばしば入院して代評が立てられました。